2015年11月28日 19:28
ナーファンチュのカタクチワレー(片口笑い)
北斎の描く『琉球八景』(1833年)の一つに、「長虹秋霽」(ちょうこうしゅうせい)がある。長虹というのは長虹堤のことだ。長虹は、海に浮かぶ虹を意味する。秋の晴れた朝に橋に佇めば、虹の上に佇んでいるようであるということを意味する絵である。葛飾北斎《長虹秋霽》...
——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
2015年11月28日 19:28
北斎の描く『琉球八景』(1833年)の一つに、「長虹秋霽」(ちょうこうしゅうせい)がある。長虹というのは長虹堤のことだ。長虹は、海に浮かぶ虹を意味する。秋の晴れた朝に橋に佇めば、虹の上に佇んでいるようであるということを意味する絵である。葛飾北斎《長虹秋霽》...
2015年11月20日 18:16
「具志堅君は知らないだろうけれど、昔の那覇は水の都だったんだよ」、物静かな口調で、こんなことを教えてもらったことがある。宴会の始まりを待つ、日常生活からハレの席に移るパサージュ(passage通過)の時間を共有しているときだった。ぼくに話しかけられたのは、あ...
2015年11月13日 21:14
戦後の沖縄では、小学校から高校まで、公立の学校には学校図書館が設置され、専属の図書館員が配置されていた。1980年代に中学校の図書館司書の仕事をしたことがあった。同じ職場なので教員たちと同席することも多く、教員たちの愚痴を聞くことも少なくなかった。家庭での...
2015年11月07日 20:06
宮本常一(1907-1981)の『女の民俗誌』を読んでいると、女性が田畑に出ない地方があったという記述に出会う。宮本はフィールドワークを重視する民俗学者であり、1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け、1200軒以上の民家に宿泊...
2015年11月02日 10:40
日本の女性たちは男性への従属度が低かった。江戸時代もそうだったし、明治の半ばあたりまではそうだった。江戸時代の日本は、どちらかというと母系的な社会だった。その母系的な家族の在り方が払拭されるのは、日清戦争(1894-95)の頃だ。日清戦争に勝利することによっ...