南風原町喜屋武の綱引き

昨日は十数年ぶりに南風原町喜屋武の綱引きを見物した。

喜屋武は人口1,181人、406世帯(2015年国勢調査)の集落で、傾斜地に位置している。

綱引きは奄美諸島から宮古・八重山諸島までの沖縄文化圏に盛んに行われている年中行事で、収穫感謝祭などの形を採って行われている。沖縄本島中南部が盛んな地域で、旧暦6月25日・26日の六月カシチー(米の収穫感謝の祭り)に行われるところが多い。

綱引きはシマを東西や上下に分け、闘争心を煽るものだ。闘争心が激しければ激しいほど豊穣がシマに招き寄せられ、激しければ激しいほど、逆にシマンチュの一体感は高められる。

以前の喜屋武では8月6日(旧暦6月25日)の綱はシマンチュだけが引くチカラアラガー(真剣力勝負)だったということだ。8月7日(旧暦6月26日)に引くのはシュニンジナ(衆人綱)といい、見物客も参加して綱を引く。現在はチカラアラガーは無くなったようだが、シュニンジナの日に他シマの人たちを招待する慣例が見られるようだ。

喜屋武の綱は東(あがり)の男綱は坂の上に位置し、西(いり)の女綱は平地に位置する。綱引きでは東の男綱が綱の引き手たちに担ぎ上げられて勢いよく坂を駆け下りてきて女綱と合体することになっていた。しかしその男綱がなかなか下りてこない。午後10時くらいから西の女綱の方では銅鑼を打ちながら、男綱の出現を催促する。

前日の綱引きでは2回引き、西の女綱の連勝だったとのこと。東の男綱は今晩の勝負に負けるわけにはいかない。そのための焦らしかとも思われた。

午後11時過ぎに松明の火に囲まれて東の男綱が闇の中に出現し、荒れ狂うヤマタノオロチのように、坂道を下ってくる。女綱は女陰に見立てた大きな輪っかを立てる。そこから男綱と女綱の合体に行くのだが、双方が勝負に有利な位置を占めようとするのでスムーズに合体することはない。それは巨大な女神と男神の争いのように見える。

三度目の男綱の突入で女神と男神の合体が実現する。それと同時に女神と男神の憑依したシマの人たちは、サーイサーイという掛け声とともに、二匹の巨大な生き物に化して綱を引合う。引くのは乱れ引きではなく、女綱と男綱が交互に引合うのである。

交互に引合うために、綱を引く動作と掛け声は大きなうねりとなる。それはシマの夜空に出現した巨大なオロチであり、現世に現れた女神と男神の姿となる。

喜屋武の綱引きで勝負を決するのは、相手方が綱を手離したときだという。綱の移動した距離ではなく、敵対する対称性から全き相補性に移行したときに、勝負が決するのである。そのとき、人と人とを隔てる壁は取り払われ、シマの一体感は達成されることになる。

この夜の綱引きは東の男綱が勝利した。東組の若い衆は銅鑼叩きの周りに円陣を作りながら鬨の声を上げる。様式化された踊りではなく原初的でワイルドな舞踊だ。その後にそれぞれの綱は元の場所に戻っていく。

地元の人の話によると、東は公民館で西はナカヌカー公園で2時3時まで慰労会が催され、そこから合流して4時5時くらいまで宴会が続くということだった。二日間に渡って激しく敵対した東西の組は、この合流の席で、綱引きによって毎年更新されることになるコミュニティとの一体化を達成し、相互の友愛の情を深めることになるのである。


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