——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
中世紀とルネサンスにおいては、狂人は社会の内部に存在することを許されていました。いわゆる村の狂人は、結婚もせず、遊びにも参加せず、他人によって養われ、支えられていました。彼らは町から町へと放浪し、ときには軍隊に入ったり、行商をしたりもしましたが、あまり興奮して他人にとって危険になると、他人が町のはずれに小さな家を建てて、一時的にそこに入れられたこともありました。(神谷美恵子訳「狂気と社会」)
文芸復興期の空想上の風景のなかに、一つの新しい事物が出現し、やがてそれは特権的な位置をしめるようになる。それは狂人の船(ネフ・デ・フゥー)、つまりラインランド地方の静かな河川やフランドル地方の運河にそって進む奇怪な酩酊船である。(田村俶訳)ラインランドはドイツ西部のライン川沿岸の一帯を指す地方の名称であり、フランドルは低地を意味するネーデルランドのことで、オランダ南部からフランス北部にかけての地域のことをいう。このように水上交通の発達した地域で、狂人の船という空想上の風景が描かれたのである。
だが、これらの空想的あるいは嘲笑的な船のうち、阿呆船(ナレンジッフ)だけが現に実在した唯一の船である。実際、気違いという船荷をある都市から別の都市へはこんでいる船が実在したのだった。当時、狂人は容易に放浪しうる生活をいとなんでいた。都市は狂人を市域のそとに放逐しがちだったし、ある種の商人や巡礼たちに預けられなかった場合、彼らは人里はなれた野を自由にさまようことができた。(同前)水上交通によって発達した各都市は、その都市の市民に属する狂人は保護したが、接岸する船に乗せられていた他国の狂人たちを受け入れることはなく、巡礼と称して他の都市に放遂するのが慣例だったようだ。つまり狂人たちは、各都市に接岸するがそこに上陸することは果たされず、水上だけが彼らの土地といえるものだった。
狂人が気違い船にのっておもむく先は、あの世である。舟をおりて帰ってくるのは、あの世からである。(同前)
狂人は、自分のものとなりえぬ二つの土地(出立地と上陸地)のあいだの、あの不毛の広い空間にしか自分の真実と自分の生れ故郷をもちあわせない。(同前)