2024年05月05日
三月浜降りを禁じられていた遊女たち
那覇市の波の上神社の崖下のヒシは、筍が叢生したような奇抜な形になっているので、清朝の詩人はこれに崖の名を与えた。その続きの所に、畳でも敷いたようなタゝンビーシーというすべすべしたヒシがあるが、私の子供の時分、旧暦三月頃の潮干狩などには、その上で妙齢の女...
——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
2024年05月05日
那覇市の波の上神社の崖下のヒシは、筍が叢生したような奇抜な形になっているので、清朝の詩人はこれに崖の名を与えた。その続きの所に、畳でも敷いたようなタゝンビーシーというすべすべしたヒシがあるが、私の子供の時分、旧暦三月頃の潮干狩などには、その上で妙齢の女...
2024年04月24日
マルクスは貨幣が一切の差異を消滅させる喩えとして、シェイクスピアを引用する。貨幣においては、商品の一切の質的差異が消失するのであるが、同じように、貨幣の方でもまた、急進的平等主義者(レヴェラー)として、一切の差異を消滅させる 。(マルクス『資本論(一)』岩...
2024年04月23日
マルクスの『資本論』の第三章「貨幣または商品流通」を読んでいると、コロンブスの言葉が引用されている。「金はすばらしい物だ!これをもっている人は、彼の願うこと何一つかなわぬものはない。金によって、霊魂さえ天の楽園に達せしめることができる」(コロンブス、ジ...
2024年04月10日
幕末の奄美でもハーリーが行われていた。沖の小島を回ってくるというもの。引用は、名越左源太(國分直一・恵良宏校注)『南島雑話1』(1984年、平凡社)より(挿絵は奄美市立奄美博物館所蔵によるもの)五月五日ハレコギの図 船漕競ひ 、一番、二番に早きは、褒美(ほう...
2024年04月09日
ヤン・プロフォースト『碧眼の中の花瓶の花』(1480年頃)ヤン・プロフォーストJan Provoost (1465c-1529)はフランドルの画家。この作品は15歳頃のもので、完成度は高い。中世に途絶えていた静物画は、14世紀末頃から装飾的添え物として、あるいは宗教上のアレゴリーの要求...
2024年04月09日
幕末の奄美では、椎の実採集や蘇鉄を食糧にするなどの縄文時代を思わせるような採集生活がある一方で、工業的な黒糖生産があった。カリブ海のような植民地状態だったことがわかる。引用は、名越左源太(國分直一・恵良宏校注)『南島雑話1』(1984年、平凡社)より(挿絵...
2024年04月07日
沖縄のシマ社会における配偶者選択の場であったモーアシビは、未婚の娘たちが集う娘宿で行われていたようだ。娘宿で糸繰り作業をしているところに、若者たちが三線をもって押しかける。そこからモーアシビに移る。幕末の奄美民俗を記した『南島雑話』によると、五月五日か...
2024年04月06日
奄美では鼠の害が多く、鼠は神として祀られていた。『古事記』ではイザナギとイザナミの間に生まれた最初の子は、ヒルコという不具の子で、葦船に入れてオノゴロ島へ流される。その神話と同じ構造を持つものだろう。穀物栽培は収穫物を長期保存することが可能となった。そ...
2024年04月05日
幕末奄美の製糖は島役所あげての厳重な監視のもとに行われたようだ。薩摩藩は黒糖で莫大な利益をあげた。そのため奄美ではサトウキビ以外の作物生産が疎(おろそ)かになり、「黒糖地獄」と呼ばれる厳しい時代を経験することになる。黒糖地獄と明治維新は切り離せない。黒...
2024年04月04日
焼酎製法の詳述は省(はぶ)く。面白いのは、砂糖づくりの時は焼酎製法は禁じられ、各家の焼酎が底をついてしまう。そのときに三日醪(もろみ)をつくって呑んだ。焼酎の醪は二度までは最初の醪と変わらない。ところが三度目からは、もう焼酎とは言えない味になる。それで...