今泊エイサーの歌詞テキストは、小林公江・小林幸男 1997 「今帰仁エイサーの音楽―崎山・兼次・今泊の資料化を通して」『沖縄芸術の科学』第9 号(沖縄県立芸術大学附属研究所)による。
両小林氏による歌詞資料は、緻密な考察による翻訳が加えられた第一級資料であった。
特に加筆の必要もないのだが、自己流の語りに近づけるため、若干の
私訳(具志堅要訳)を入れた。
歌詞は原テキストの漢字にフリガナが振られている場合にはフリガナの表記を使用した。
*印の行の訳は原典によるもの。
なお原テキストによる凡例は次の通りである。
歌詞について
・歌詞資料は、実況録音や字の保存用演唱録音を基に小林公江が作成したが、古老の話や各字の資料(今泊青年団協議会『七月エイサー』、兼次青年会の刷り物、『崎山誌』)も参考にした。
・共通語訳(*印の行)は、地元の方の話を参考に、小林幸男が作成した。殆ど歌詞内容が同じ場合は、先に載せたものの訳で代表させ、以後は省略した。
・囃し詞は片仮名で、歌詞の本体に当たる部分は平仮名で表記した。
・<>は、踊り手の演唱を示した。
・[ ] は、直前の歌詞あるいは囃し詞の、別の表現を示した。
・{ } は、音数を整えるために反復した語句を示した。
・※ は、歌詞以外のコメントを示した。
13.てぃまとぅあぶさけーぬ かぬしちゃぬ浜うりてぃ 汀間とぅ
<まるみーかなーとぅ うきにんかみやが> くいぬはなし
<サー リカチャンナーヤー 丸目加那>
*汀間と安部(現名護市汀間と安部)の境のカヌチャ浜に下りて、汀間の丸目加那と請人の神谷の恋の話。
<サァ、ウマクイッタカネェ、丸目加那>
汀間と安部境のカヌチャの浜に下りて、汀間の丸目加那と請人(身元引受人)の神谷が恋の話
14.とぅぐちみなとぅにささいリてぃ ささ入りてぃ
渡久地にーせーたーや でぃかちゃーしが
<サーサ
はまむとぅ二才達や なしむどぅい
カマヤシナー スリ カマヤシナー カマヤシナ ヤッサイ>
*渡久地(現本部町渡久地)港に(魚獲リのため)毒草を人れて、渡久地の青年達はうまくいったが、浜元(現本部町浜元)の青年達は手ぶらで戻り。
渡久地の港に毒草を入れて、渡久地の青年たちは首尾よく魚捕りをしたが、浜元の青年たちは手ぶらで戻ったよ
15. だんこぶしならゆんでぃ なぐあがりーかゆてぃヨンサー
<かゆるみちなかに ちんしーけーわてぃ[けーかち割てぃ]>
ダンコヨーダンコ <スリヤリクヌ イヤササ[ヤッサイ]>
みやらびにふりて ぐしちむらかゆてぃヨンサー <以下同前>
※[ヤッサイ][けーかち割てぃ]は、故老の演唱による。
*だんご節を習うと言って名護の東江(現名護市東江)に通って、<通う途中で(石項で)膝をかち割って。
*娘に惚れて、具志堅村(現本部町具志堅) に通って、<同前>
だんこ節〔という歌と踊り〕を習おうと名護の東江(あがりえ)に通って、通う道中で膝頭を岩にぶつけて血を流してしまって
乙女に惚れて具志堅のムラに通って、<以下同前>
16.くんじゃんさちからあみふらち ゆんぬいらぶや
ちりにどぅ [霧ぬ]かかゆんどー
<しちゃわたドゥッサイ チナヌヘイヘイ 島ヌヘイヘイ ヘッヘイ>
海ぬさしぐさなびちぬちゅらさ ※[海ぬさし草やあん清らさあむぬ]と歌われたこともある。
<イャートゥ吾ントゥヤ アンシーナリカナ 島ヌヘイヘイ ヘッヘイ>
※この他に<ひちぬ先々危なさや 仕度ヌ悪サヤ 側ナリナリ… ・>もあった。
*辺戸岬(国頭村)から雨を降らせて、与論島や沖永良部島は霧がかかるぞ。
*海のサシ草は廉くのが美しい。(※海のサシ草はあんなに美しいのに、) オ前ト私トハソンナニナリ・・。
国頭の崎から雨を降らせたので、与論永良部には霧がかかるぞ
海のサシ草は美しく靡く
17.なかじょーへい 仲門へい あしびしが行かに 仲門へい
<遊びしが行かに 仲門へい イヤイヤシーシ>
遊びしが行きばいなぐみっちゃい いきがさらわんちゅい
<女三人 男さら吾ん一人 イヤイヤシーシ>
*「仲門兄さん。」「仲門兄さん。」「遊びしに行こうよ、仲門兄さん。」
「遊びしに行ったらば、女三入に男がたった俺一人。」
仲門のお兄さん、仲門のお兄さん、モーアシビに行こうよ仲門のお兄さん、
遊びに行ったら女が三人、男はおれがたった一人だったよ
(続く)