江戸の特産品と女性たち

具志堅 要

2015年11月07日 20:06

宮本常一(1907-1981)の『女の民俗誌』を読んでいると、女性が田畑に出ない地方があったという記述に出会う。宮本はフィールドワークを重視する民俗学者であり、1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け、1200軒以上の民家に宿泊したと言われる。活動期間が50年としても年平均24軒の泊まり込みによる聞き書きをしたことになる。このような圧倒的な量の聞き書きを通して、宮本は民衆の思いがけない声を拾う。文献では現れることのない民衆の姿である。これなどもそのひとつである。

戦争以前に女が田畑にあまり出かけない地方があった。奈良県地方などその典型的なところであった。戦争がはげしくなって労力不足から大阪の女たちが勤労奉仕にいってみると、主婦たちは家にいて田へ出ようともしないので憤慨したという話がのこっている。奈良にかぎらず、近畿の農村では女が田で働くことは少なかった。
(宮本常一『女の民俗誌』岩波現代文庫)

畑仕事や田んぼ仕事は、男性のなすべき労働であり、女性のなすべき仕事ではなかったのである。男性たちが徴兵されることによって、このジェンダー役割が可視化されたのである。

これは西日本に広くみられるジェンダー役割であったようだ。宮本は山口県周防大島の出身で、祖父母は農家であった。ところが宮本は、祖母が田畑に出る姿を見たことがなかったのである。

私の祖母なども、祖父がどんなにいそがしくはげしく働いているときでも、田へ出て労働をたすけた姿を見たことはなかった。恋愛結婚で五十余年も一緒におり、別に仲のわるい夫婦でもなく、また田畑に出ないからといって物笑いにもなっていないのだから、それがあたりまえのことだったと見られる。(前掲書)

女性の労働は家内労働であった。それは収穫物を処理・加工する仕事だった。

女が田畑へ出ないということで、女が働かなかったというわけではなく、多くは家の仕事にいそしんだ。収穫物の処理などは主として女の仕事であった。畑地の多いところでは畑につくる夏作は、アワ・キビ・ソバ・アズキ・ダイズなどが多くなる。それをつくって家へ持ってかえるまでの仕事は男が行なうが、実にして乾(ほ)して収納するまでの作業は女になる。(前掲書)

男性たちは加工する以前の仕事を受け持ち、女性たちは収穫物を加工処理した。第二次世界大戦以前まで残っていたこのような家内労働の形態が、江戸時代における地域の特産品を生み出したといえる。江戸時代は商品流通が発達し、各地に特産品が生まれる時代だった。収穫物を加工処理するプロセスの中に、商品化する工夫が挿入されるなら、地域の特産品はたやすく誕生するといえるだろう。

東日本で女性が田畑の仕事をしたのかどうかは明らかではないが、養蚕業が女性労働の独壇場だったことを考えると、やはり家内労働の延長に属するものであったと考えることができる。

ところが、女性たちの労働の価値や女性たちの持つ経済力は、可視化されることは少なかった。男性である世帯主名義でなければ営業が許可されない、というケースが多かったからである。

同国〔信州〕の小諸藩では、1834年5月、領内に繭巣殻(まゆすがら)・真綿(まわた)売買の取り締まり令に触れ、領内の絹紬(きぬつむぎ)・糸織り渡世は多く女たちであることをみとめ、しかも原料の繭巣殻購入を許可しながら、そのための鑑札だけは親・夫あるいは兄弟、つまり男の名前で申請するように命じた。
(高木侃『三くだり半と縁切寺』)

鑑札とは、江戸時代に営業を許された商工業者が所持する木札・証状のことである。つまり男性名義でなければ営業許可が下りなかったのである。そのため女性たちの経済力は、文献記録上は不可視のものとなる。

ところが浮世絵は、そのような男性中心主義のタテマエに拘泥しない。そのため働く女性たちの姿が可視化されることになる。(引用する浮世絵はすべてボストン美術館収蔵作品)

最初の絵は喜多川歌麿による『婦人手業操鏡(ふじんてわざあやつりかがみ)』(1797-98年)シリーズ中の『機織(はたおり)』(ボストン美術館蔵)である。機織は女性たちの独壇場であり、ただちに換金される商品であった。



次は同じく歌麿によるもので、『婦人手業拾二工(ふじんてわざじゅうにこう)』(1798-99年)シリーズ中の『祇園豆腐』(ボストン美術館蔵)である。「祇園豆腐」は豆腐料理名で、豆腐を薄く平たく切り、2本の串を刺し、火にかけて表裏両面を少し焼き、味噌たれで煮て、上に麩粉を点じたものであるという。



三枚目は葛飾北斎による『東海道五十三次』(1804年作)中の『品川』(ボストン美術館蔵)。「品川海苔」は江戸名産として、全国に知られていた。



四枚目は歌川広重による『東海道五十三次』(1833年作)中の『水口』(ボストン美術館蔵)。水口名物の干瓢づくりの作業が描かれている。農婦たちが干瓢の原料となる夕顔の実を細く剝いて、干していく。家の垣根も干場に早変わりする。職住接近で育児をしながらの労働である。



これらの女性労働の姿の特徴は、家内労働の延長であること、自営業的であること、換金作物が多いこと、共同作業をともなう姿が多いこと、などである。そこには男性中心主義から出発した近代社会の、「帰るべき未来」の姿があるのだといえよう。

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