2024年04月07日
野外ライブだったモーアシビ
沖縄のシマ社会における配偶者選択の場であったモーアシビは、未婚の娘たちが集う娘宿で行われていたようだ。娘宿で糸繰り作業をしているところに、若者たちが三線をもって押しかける。そこからモーアシビに移る。幕末の奄美民俗を記した『南島雑話』によると、五月五日か...
——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
2024年04月07日
沖縄のシマ社会における配偶者選択の場であったモーアシビは、未婚の娘たちが集う娘宿で行われていたようだ。娘宿で糸繰り作業をしているところに、若者たちが三線をもって押しかける。そこからモーアシビに移る。幕末の奄美民俗を記した『南島雑話』によると、五月五日か...
2024年04月06日
奄美では鼠の害が多く、鼠は神として祀られていた。『古事記』ではイザナギとイザナミの間に生まれた最初の子は、ヒルコという不具の子で、葦船に入れてオノゴロ島へ流される。その神話と同じ構造を持つものだろう。穀物栽培は収穫物を長期保存することが可能となった。そ...
2024年04月05日
幕末奄美の製糖は島役所あげての厳重な監視のもとに行われたようだ。薩摩藩は黒糖で莫大な利益をあげた。そのため奄美ではサトウキビ以外の作物生産が疎(おろそ)かになり、「黒糖地獄」と呼ばれる厳しい時代を経験することになる。黒糖地獄と明治維新は切り離せない。黒...
2024年04月04日
焼酎製法の詳述は省(はぶ)く。面白いのは、砂糖づくりの時は焼酎製法は禁じられ、各家の焼酎が底をついてしまう。そのときに三日醪(もろみ)をつくって呑んだ。焼酎の醪は二度までは最初の醪と変わらない。ところが三度目からは、もう焼酎とは言えない味になる。それで...
2024年04月03日
椎の実は山原(やんばる)の山中にも数多く自生していたような気がする。奄美では「天賜の穀物」として泊まりがけで山中に分け入り、椎の実採りをしたという。採集は女性の労働力が大きかったようで、「男子五升拾ふ時は女子八、九升も拾ひ、男子八升拾ふ時は、女子は壱斗二...
2024年04月02日
晴天に二、三日干し、夫を桶(おけ)に入れ水を汲込、二、三日漬て、蘇鉄を折て見るに折れざれば、亦一両日漬置きて折て見るに、折るゝ時に取り揚げて亦干し揚げ、夫を俵(たわら)に入れて醸(かも)し、又折て見るに、折るゝ時、俵より出して、水にて能々(よくよく)洗ひ干し揚...
2024年04月01日
神送りには神女たちが馬に乗って神を送ったという記述が沖縄では散見する。神女の夫は早逝するという言い伝えも多い。神女は人間の妻である前に神の妻であったからだ。神を接待するヒヌカン(火の神)を祀った神女が馬に乗って神を送る神女の姿は、丙午(ひのえうま=火の...
2024年04月01日
幕末期の奄美では凶作の年にはサツマイモの粥を食べた。けっこう美味しかったと名越左源太はいう。○凶歳となれば、甘藷の水粥を食す。是も試みしが、塩など少し加へ食すれば、存外甘みありて好(よ)きものなり。それも極まれば、蘇鉄を食べた。凶歳、飢歳となれば蘇鉄(そて...
2024年03月31日
名越左源太(なごや さげんた)『南島雑話:幕末奄美民俗誌』(1850〜55年)によると、家を新築して屋根を葺くときには、村中の人がご馳走と焼酎を持ち寄って祝った。宴が闌(たけなわ)になると、女性たちが庭に出て太鼓を叩き、八月踊りのように踊った。新築の家の主人が若...
2024年03月30日
名越左源太(なごやさげんた)『南島雑話:幕末奄美民俗誌』(1850〜55年)によると、家を造るときはシマの人たちが大工道具を持参して加勢した。屋舎を造営するには、島中の人民何れも大工の意ありて、所持する所の細工道具を携出て、互に加勢し造立するなり 。加勢の人た...