離別した男女が再び縁を結ぶ歌《池間まーづみが》

この歌は池間島の五穀豊穣と大漁を祈願する宮古節(ミャークヅツ)の祭日に歌われるもの。

ミャークヅツ
旧暦8、9月の甲午(きのえうま)の日から3日間催される宮古・池間島最大の年中行事。粟の豊年祈願。ムトゥヌウヤと称される数え55歳以上の男性を中心に4ムトゥで年齢階梯的に運営される。(前泊徳正『沖縄大百科事典』)

離別していたマーヅミガという女性とヌサガマという男性がよりを戻すという物語である。

離別した男女が再び縁を結ぶ歌《池間まーづみが》

原テクストは稲村賢敷『宮古島旧記並史歌集解』(1962年、琉球文教図書)による。
原テクストのふりがな付きの漢字はひらがなで表記している。
出典は、外間守善・新里幸昭編『南島歌謡大成 3宮古篇』(1977年、角川書店)。
一段目の訳は出典訳で、二段目は私訳(具志堅 要)。


池間まーづみが

いきまざん、離り座ん、うまりたい、まーづみが、
池間島に離れ島に生まれたマージミガ〔女の童名〕
池間島に、離れ島に生まれたマーヅミガ、

うぷぐむいん、んまりたい、うやきまーづみが、
ウプグムイ〔地名〕に生まれた富貴なマージミガ
大いなる集落に生まれた富貴なマーヅミガ、

離り座ん、しゆだつたい、うやきまーづみが、
離れ島〔池間島〕に育った富貴なマージミガ
〔離れ島である〕池間島に育った富貴なマーヅミガ、

吾がすざ、ぴたてばんぴと、やれよとい、
わが兄が火立番人に当っていたが
〔マーヅミガが言うことには〕私の兄は〔番小屋に火を焚いて沖を通る船に合図する〕火立番人だったが

いらういき、あちやくうで、やりうとい、
伊良部島に行き明日来るからと行った
伊良部島に行き、明日帰ると言っていた。

びのばかりうしや、ふきできすそや
亥方(北風)の嘉例吉は吹き出して
〔ところが〕亥の方角(北北西)の北風が吹き出して

なむがぱな、みそがつづうど、とばしうい
波の花(白い波頭)を潮の頂を飛ばしているから
波頭の飛沫を、潮の頂上を吹き飛ばしていて、

いらうから、くらりぐや、うさんにば、
伊良部島から帰り来ようと思っても帰れそうにないので
伊良部島から帰って来れそうには吹いていないので

すまとつき、島たゆりやが、あいそや、
島とつき、島の頼り人が〔部落を駆けまわって〕言うには
島の通知人、島の便り(伝令役)の人が言うことには

まーづみがゆ、さきばし、ぬさがまやあとから、
マージミガを先にしてヌサガマが次に〔火立番に当る〕
マーヅミガが〔兄の代役で〕を先〔の火立番〕、〔相方として離別した夫の〕ヌサガマが後〔の火立番〕をせよとのことであった。

山ぐすぬ、うりさかまみちから、
山越しの下り坂道を
山を越えて、下り坂の道から〔二人は火立番屋〕に行った。

とりんぴやい、やぱらぴやい、舟だき、
風のない静かな海上を和らに走る舟のように
凪の海上を走る、和やかな風を受けて走る舟のように、

うぷぐすぶー、かりうす浜、ぴやらしうり、
うぷぐすぶー、カリウス浜を走らせて、
ウプグスブー(地名)を、カリウス浜(地名)を静かに航行した(黙って行った)。

んなとぞうの、いそあらすぞうの、んちうりば、
湊門(んなと)は、磯あらす門(地名)は潮が満ちているので
港の門に、磯を荒らす門に潮が満ちているので、

山洗い、かんふがみ入り、満ちうりば
山洗い、神拝み入りは潮が満ちているので
山すそを洗い、神拝みをする入口に潮が満ちているので、

まーずみがが あぱらがが しゆういそや
マージミガのアパラガのしたことは
マーヅミガが、美しい女がしたことには、

ならそでにや、いでづがみからぎ
自分の着物を出乳の所までまくり上げて  
自分の上着をツンと立った乳房までまくりあげ、

なかししど、うぷんぞばらし、出でたい、
なかし(女陰)を溝につけて通った
女性器を海中の道に浸けながら通った。

ぴたてんみがみ、島ぬんみがみ、ぬうりいき
火立峯まで、島の頂まで登って行き、
火立ての峯まで、島の頂上まで登って行った。

まーづみがゆ、ぬさがまが、あいそや、
マージミガよ、ヌサガマが言うには
「マーヅミガよ」とヌサガマが言うことには、

あいきたいんつ、また戻らでい
歩いてきた道をもう一度戻ろうか
「歩いてきた道をもう一度戻ろうか」

まーづみがと、ぬさがまと、ふたあいが、
マージミガとヌサガマの二人は
マーヅミガとヌサガマの二人は

腕枕がみ、結びうい、
腕枕かわして〔再度の縁を〕結んだ
腕枕を交わして、〔再度の縁を〕結んだ。

ゆあけぶすぬ、島や照らしど、あがりうい、
夜明けの明星は島を照らして上っていた
〔二人が結ばれているあいだに〕明けの明星は島を照らしながら登った

二しゆうにや、池間崎や廻り、船つきやしうい
二隻の船は池間岬を廻り〔平良の港に〕船着けをした
二隻の船は池間崎を廻って〔無事に〕船着きした。


11番から19番までのマーヅミガとヌサガマの道行きは、おそらく男女の性愛を隠喩したものだろうと思われる。
沖縄の祭りには男女のジェンダーが対立するという構図をとるものが多い。
男女のジェンダーはいったんは対立するが、対立の後に和合が訪れる。
その和合では、対立以前の和合よりも深い和合がもたらされる。
そのような男女の深い和合により、豊饒がシマにもたらされるという構造である。
もう少し複雑な長い物語歌だった可能性もある。


同じカテゴリー(宮古歌謡)の記事
鬼虎の娘のアヤグ
鬼虎の娘のアヤグ(2018-03-15 20:42)