沖縄における神話的思考——サンジチャー講座

沖縄における神話的思考


ファシリテーター:具志堅 邦子
語り手:具志堅 要


  1.神話的思考とは何か?
    浦添墓地公園
  2.ブリコラージュ
    沖縄におけるブリコラージュ——瓦屋根の漆喰シーサー
  3.科学的認識と神話的呪術的思考の中間に位置する美術
  4.エイサーに見る野生の思考
  5.野生の思考と歴史認識
  6.未来という時間意識の希薄な沖縄の社会
    国民年金収納率にみる〈沖縄〉
    〈沖縄〉がワースト20までを占める
    国民年金という制度自体の要因
  7.まとめに

1.神話的思考とは何か?

神話的思考とは、構造主義を提唱したフランスの社会人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)が『野生の思考』(1962=1976年)で展開した概念です。

レヴィ=ストロースは科学的思考には二つの様式があり、一つは知覚や想像力に狙いをつける方法で、もう一つはそれをはずしている方法だといいます。

科学的思考には二つの様式が区別される。それらは人間精神の発達段階の違いに対応するものではなくて、科学的認識が自然を攻略する際の作戦上のレベルの違いに応ずるもので、一方はおおよそのところ知覚および想像力のレベルにねらいをつけ、他方はそれをはずしているのである。(『野生の思考』20p)

たとえば時間をあらわす概念でも、カレンダーや時計などにあらわされる時間表現と朝昼晩や春夏秋冬などの時間表現には大きな違いがあります。カレンダーや時計によってあらわされる時間は、特に「知覚および想像力」を必要とするものではありません。一方、一日のうちの朝昼晩や一年の春夏秋冬という時間意識は、具体的な知覚や想像力に訴えて時間を認識させるものです。

沖縄では永遠という時間概念を空間軸によって表す思考法を見ることができます。

   浦添墓地公園

浦添墓地公園には再開発などでまとまって移転した墓を見ることができます。その中で神話的思考を発見することもできます。たとえば次のような連棟式の墓があります。1982年の建立です。
  ①字××西○○家之墓、
  ②字××前ヌ東リ○○家之墓、
  ③字××東リ○○家之墓、
  ④字××前ヌ○○△△家之墓、
  ⑤字××次男前ヌ○○△△家之墓、
墓にはまず出自の集落(シマ)名が記されています。①の「西○○家」というのは、ヤーンナー(屋号)で呼ぶと、「イリ○○ヤー」ということになります。②は「メーヌアガリ○○ヤー」、③は「アガリ○○ヤー」、④は「メーヌ○○△△ヤー」、⑤は「次男メーヌ○○△△ヤー」ということになります。

○○ヤーというのが起点になって、①は○○ヤーの西にある家、③は○○ヤーの東にある家、②はその東にある家の前方にある家、④は○○ヤーの前方にある家から婚出して姓が△△に変わった家、⑤はそこから分家した次男の家、ということになります。

この表記法で重要な点は、「○○家先祖代々の墓」というような家系図的な時間の永続性が記されていないことです。そうではなくて、シマの中におけるヤーの空間的位置関係が重視されているということです。それでは何が墓に時間的な永続性を与えるのでしょうか。

おそらく事例であげた親族集団の属する「○○ヤー」というのが、当該シマ社会の構成単位となるヤーの一つで、それはシマの創世神話に結びつく家であったといえるでしょう。

そのような神話的秩序の中で、神話的起源を有する「○○ヤー」との関係性が、それぞれのヤーの永続性を意味することになります。それは家系図や戸籍などに基づく永続する家意識とは異なる認識方法です。

レヴィ=ストロースはそのどちらの様式も科学的思考に基づくものであり、優劣はないとします。知覚および想像力のレベルにねらいをつける科学的思考を「神話的思考」と名づけ、その特徴を「具体の科学」とします。

2.ブリコラージュ

この神話的思考をレヴィ=ストロースは、「ブリコラージュ」(器用仕事)という喩えを用いて説明します。ブリコラージュというのは、有り合わせの材料と道具を使って、自力で新しいものを作ることを意味するフランス語です。

レヴィ=ストロースは新石器時代から現代まで続いている具体の科学を、近代科学とは区別した形で表します。具体の科学をブリコルール(ブリコラージュする人)の仕事にたとえる一方で、近代科学(西洋近代に特殊な思考)をエンジニア(技師)の仕事にたとえます。

ブリコルールはありあわせの道具材料を用いて自分の手でものを作らなければなりません。「知覚および想像力のレベルにねらい」をつけるのは、ありあわせの具体的な道具材料を用いるということです。
ところで、神話的思考の本性は、雑多な要素からなり、かつたくさんあるとはいってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである。何をする場合であっても、神話的思考はこの材料を使わなければならない。手もとには他に何もないのだから。したがって神話的思考とは、いわば一種の知的な器用仕事(ブリコラージュ)である。(同前22p)

そしてレヴィ=ストロースはブリコラージュが神話創作的な性格を持っていることを指摘します。
工作面での器用仕事(ブリコラージュ)がそうであるように、知的面で神話的思索が思いがけぬすばらしいできばえを示すこともある。逆に器用仕事(ブリコラージュ)の神話創作的性格もしばしば述べられているところである。たとえば美術でのいわゆる「アール・ブリュット」や「アール・ナイフ」、郵便配達夫シュヴァルの邸宅の幻想的建築、ジョルジュ・メリエスの舞台装置、さらにはウェミック氏の郊外の城館(同前22p)

ブリコラージュの神話創作的性格
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アンリ・ルソー『私自身、肖像=風景』1890年
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ジャン・デュビュッフェ『子どもが生まれる』1944年
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フェルディナン・シュヴァル『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』1879〜1912年

   沖縄におけるブリコラージュ——瓦屋根の漆喰シーサー

沖縄におけるブリコラージュの代表的なものに瓦屋根の上の漆喰シーサーがあります。瓦屋根の上の漆喰シーサーは沖縄らしさを感じさせる情景となっていますが、それほど古い起源を持つものではありません。近代以降に庶民が瓦葺きの屋根を許されるようになってからの風俗です。
シーサー 魔除けの獅子像のこと。(…)獅子像を魔除けまたは守護神として用いる習俗は(…)14、5世紀ごろ沖縄にもたらされたものと考えられる。獅子像を用いた場所は、寺社の門前・城門・貴族の墓陵や、そのなかに納められている石棺、厨子甕(ずしがめ)、村落の出入り口、御嶽(ウタキ)などであった。明治以降瓦葺(かわらぶ)き建築がさかんになるにつれ、屋根に獅子像を据えて魔除けとする習慣が一般に浸透していった。獅子像を据える目的は〈ヒーゲーシ(火伏)〉〈ヤナカジゲーシ(悪霊返し)〉などである。(大城精徳『沖縄大百科事典』)

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近代以前の魔除けの獅子はコミュニティの入り口に据えられていました。
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各家庭の魔除けとなったのはスイジガイでした。コミュニティを守る獅子が歴史的な存在でああるのに対して、スイジガイは神話的存在だといえます。

スイジガイは女性性器をかたどったものだといえるでしょう。女性性器は洋の東西を問わずに魔除けの力があるものとみなされていました。ヨーロッパでは悪魔を撃退するとされ、キリスト教の教会でもシーラ・ナ・ギグという女性性器をかたどった像が設置されていました。
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(写真はイギリス・キルペックの聖母マリアと聖デイヴィッド教区教会にあるシーラ・ナ・ギグ)

沖縄では火事を収める力があるものとされていました。
ホーハイ 火事の時に叫ぶまじないの語。火事を見ればかならず二声叫ばなければならないとされた。この声を聞けば男は火事場へかけつけ、女は火の神に水をあげる。hoo(女陰)は古来魔除けになっているので、hooをあらわにして見せるという意と思われる。-hai<hajuN。火事が起こるとhoohaiの声がたちまち四方に相呼応して、皆火事場へ赴いたものであった。(「沖縄首里方言辞典」)

沖縄の民衆層にとって瓦葺き屋根の家は社会的成功の証でした。田舎で瓦葺きだったのは役場のような公的な存在の家でした。つまり瓦葺き=公的という図式があったのです。おそらく屋根左官は公的な意味を持たせることを思いついて、屋根の上にシーサーを乗せたのでしょう。
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屋根左官はサービスで使い残しの漆喰と瓦の破片でシーサーを創り屋根に乗っけます。そのとき、スイジガイの持つ神話的な魔除けの力は、屋根の上のシーサーにインストールされます。屋根左官はブリコラージュによって神話的事象を近代に再構築し、沖縄に新しい美を創出したのです。

3.科学的認識と神話的呪術的思考の中間に位置する美術

美術は現代的な科学的認識と未開的な神話的思考の中間に位置するとレヴィ=ストロースは指摘します。
以上の考察をやるうち、何度か美術の問題のそばをかすめて通った。そこで、このような展望の中では美術が科学的認識と神話的呪術的思考の中間にはいることを簡単に述べておいてもよいだろう。周知のごとく、美術家は科学者と器用人(ブリコルール)の両面をもっている。(同前29p)

レヴィ=ストロースは美術が人を感動させるのは、それが縮減模型だからだとします。縮減模型によって全体の認識を得ることができ、それが深い感動を引き起こすのだと。
クルエの手になる女性の肖像画を見よう。そしてレースの襟飾りが綿密に糸一本一本まで実物と見まがうばかりに描かれていて、それが説明のつかぬ (と思われる) 大へん深い感動をひき起こす。(同前29p)

沖縄における神話的思考——サンジチャー講座
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絵はフランソワ・クルエによる『エリザベート・ドートリッシュの肖像』1571年。

レヴィ=ストロースは美術作品の大多数が縮減模型であるとし、システィナ礼拝堂のミケランジェロの巨大な『最後の審判』も、時間の終末を表す縮減模型なのだと指摘します。縮減模型であることによって全体の認識を得ることができるのだと。
子供のもつ人形はもはや敵でもライバルでも話し相手でさえもない。人形の中で、また人形によって、人間が主体とかわるのである。現寸大の物ないし人間を認識しようとする場合とは逆に、縮減模型では全体の認識が部分の認識に先立つ。それは幻想にすぎないかもしれないが、そうだとしても、知性や感性に喜びを与えるその幻想を作り出し維持することがこの手法の存在理由である。この喜びは、いま述べたことだけを根拠にしても、すでに美的快感と呼ばれてよいものである。(同前30p)

レヴィ=ストロースは偶然性が作品にもり込まれたときに、作品に尊厳を与えられるのだといいます。その偶然性がブリコラージュだといえるでしょう。アルカイック美術(古代ギリシアの古典期以前の美術)や未開美術、そして初期段階のプロ美術〔レヴィ=ストロースにおいては15世紀のヤン・ファン・エイクなどの初期フランドル派をイメージするもので、19世紀の日本の浮世絵も含まれる〕にはブリコラージュの偶然性がもり込まれ、「古くさくならない」のだとするのです。
また美術が、どんなにプロ的なものでも、それがわれわれを感動させるとすれば、その結果にいたるためには、偶然性を消して機会をおもてに出すこのような方向を適当なところで押さえ、その偶然性を作品にもり込み、それによってそれ自体としての尊厳を作品に与えることが条件になる。アルカイック美術、未開美術、および初期段階のプロ美術だけが古くさくならないのは、偶然事を生かして製作に役立てるからである。すなわち、与えられた生のものを意味づけの経験的材料として完全に使おうとするからである。(同前37p)

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紀元前530年頃のギリシャの黒絵式陶器(アルカイック美術)
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北米大陸北西海岸のマスキーム族の仮面(未開美術)
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15世紀フランドルの画家ランブール兄弟による『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』から「7月」1413〜16年頃。(初期段階のプロ美術)

共通するのは遠近法が用いられていないことと省略するための技法が取られていないということです。そしてこのような美術作品は古くならないとレヴィ=ストロースは指摘します。

レヴィ=ストロースは野生の思考を提唱することによって、未開社会を現代社会に結びつけました。そしてアール・ブリュット(生の芸術)やアール・ナイフ(素朴派)、シュール・レアリスムに神話的思考を発見します。神話的思考によってレヴィ=ストロース流に美術史を書き直し、「アルカイック美術、未開美術、および初期段階のプロ美術だけが古くさくならない」のだとします。つまり陳腐化しない価値がそこにあるのだと主張するのです。

レヴィ=ストロースはルネサンス以降、あるいはマネ以降、絵画は衰退の道を辿るのだと断じます。
マネ〔1832-1883〕を「自らの芸術の衰退についての第一人者」とあがめる予言的なことばを残したのはボードレール〔1821-1867〕だった。マネ以降に起きたことは、若い画家を絶望に追いやる。逃れる手立てはないのだろうか。(…)ボードレールとおなじように予言的なことばを残したのはアロイス・リーグル〔1858-1905〕だったが、「造型美術の黄金時代は近代の初期にすでに終わっている。ルネサンスはその最後の輝きであると同時に告別でもあった」というそのことばの意味をその後の推移が立証したことは、リーグル自身知る由もない。しかし、描く技をふたたび見出すには、まずこのことを確信しなければならなかった。(レヴィ=ストロース『はるかな視線Ⅱ』)

そこからレヴィ=ストロースは、ブリコラージュという概念を提示して、アートの新たな領域を切り開いていきます。

そのブリコラージュという概念の提示により、西欧近代あるいは西欧中心主義は相対化されます。西欧中心主義を根底から揺り動かしたことにより、レヴィ=ストロースはポストモダン(脱近代)への道を切り開いたのです。

4.エイサーに見る野生の思考

レヴィ=ストロースはブリコルールとエンジニアという二つの科学的思考を表現するものとして、「野生の思考」と「栽培種化され家畜化された思考」という表現も用います。
私にとって「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。(『野生の思考』262p)

野生の思考を規定するものは具体化された激しいシンボル意欲だとレヴィ=ストロースは述べます。
野生の思考を規定するものは、人類がもはやその後は絶えて経験したことのないほど激しい象徴(シンボル)意欲であり、同時に、全面的に具体性へ向けられた細心の注意力であり、さらに、この二つの態度が実は一つのものなのだという暗黙の信念である(同前263p)

ちょっとわかりにくい表現ですが、たとえばエイサーに野生の思考を見ることができます。

うるま市勝連の平敷屋(へしきや)エイサーは古式ゆかしいエイサーだとされることがあります。
平敷屋エイサーは200年以上の歴史があり、エイサーの原型とも言われています。(「うるまいろ」うるま市観光物産協会公式WEBサイトより)

ところがエイサーが民衆化されるのは1900年前後とされます。1900年前後に始まった風俗改良運動によってモーアシビが弾圧され、モーアシビを踊っていた青年男女がエイサーを踊るようになり、現在見るエイサーの原型ができあがります。そして初期のエイサーでは太鼓は重要な役割を占めてはいなかったのです。
古老の話から、少なくとも明治半ばには北部の女エイサー・素手の手踊エイサーはその基本的な形を整えていたことが解っている。これらの地域では、既に明治後期に強まった「風俗改良運動」「皇民化運動」の中で、レパートリーのうちの野遊び的な「卑猥な」歌や歌詞を削除して入れ替えを図ったり、エイサーそのものを自粛・中止したりしている(この時期、臼太鼓も一旦途絶した所が多い)。(…)明治末期の締太鼓エイサーの姿は、今と少し違っていた。先頭の太鼓打ちは人数もまだそれほど多くなく(女性集団舞踊、臼太鼓の地謡と同様に)「太鼓を手にした手踊」といった所作で踊ったと思われる。太鼓打ちと手踊衆との衣装の違いもなく、全体としては恐らく太鼓まじりの手踊として見えたであろう。今日のような手踊エイサーと太鼓エイサーとの明確な区分は、まだそれほど大きくなかったに違いない。(小林幸男「エイサーの分類」『エイサー360°:歴史と現在』)

近代になって民衆化したエイサーでも平敷屋エイサーなどのパーランクー・エイサーは構成や楽曲がとてもモダン(近代的)なエイサーとなっています。モーアシビがエイサーの形をとった本部町の瀬底(せそこ)エイサーと平敷屋エイサーを比較してみましょう。

瀬底エイサーは来訪神が各家を訪れるという形を取ります。太鼓は伴奏楽器でモーアシビのノリで踊られます。

一方の平敷屋エイサーでは遊郭での遊女と馴染みの客との風雅な月見が演じられています。そこでは暴力(道化)と聖性(僧侶)、風雅(手踊りの男女)が三位一体となって演じられています。激しいシンボル意欲によって暴力、聖性、風雅が演じられているので、極めてモダンなエイサーの様式であるにもかかわらず、古式ゆかしいエイサーという印象を受けてしまうのです。

https://www.youtube.com/watch?v=Z6yZsOI4-Sw
本部町瀬底エイサー 1999年8月25日 瀬底島

https://www.youtube.com/watch?v=va43bwiSRYw
勝連町(うるま市)平敷屋エイサー 2003年 カミヤ前、演舞、退場

5.野生の思考と歴史認識

レヴィ=ストロースは歴史を蒸気機関車のような動力にたとえます。
私はほかの所で、「歴史なき民族」とそれ以外の民族を分けるのはまずい区別であって、それよりも、私の話に都合のよい呼び方で言うなら「冷い」社会と「熱い」社会とを区別する方がよかろうという考えを述べておいた。冷い社会は、自ら創り出した制度によって、歴史的要因が社会の安定と連続性に及ぼす影響をほとんど自動的に消去しようとする。熱い社会の方は、歴史的生成を自己のうちに取り込んで、それを発展の原動力とする。(同前280p)

冷い社会は歴史を否定するのではなく、内容のない形式として認めます。たとえば先ほどの平敷屋のエイサーでは標準語バージョンの『ヒヤミカチ節』が舞われます。『ヒヤミカチ節』の標準語バージョンは復帰運動の中で盛んに歌われたもので、祖国復帰への幻滅とともに歴史の表面から消え去ったものです。野生の思考にとっては、歴史的事項もブリコラージュの材料となります。

動画:平敷屋青年会西組 ヒヤミカチ節 コザ中学校
https://www.youtube.com/watch?v=VHTqOdcqe7k

  《ヒヤミカチ節》
  腕を組み歌おう 喜びの歌を 僕ら皆明るい 日本の子 沖縄の子
   ※ヒヤヒヤヒヤ ヒヤミカチウキリ ヒヤミカチウキリ
  野に山に梯梧 赤く咲いている いつまでも変わらぬ 固い誓い 固い誓い
   ※(リフレイン)
  美しい海に 果てしない空に 七色の望み 呼びましょう 呼びましょう
   ※(リフレイン)
結果の集積が経済的社会的大変動を生じるような非回帰的事件の連鎖が形成された場合、ただちにそれを破壊しなければならない。さもなくば、そのような連鎖の形成を予防する有効な方法を社会がもっていなければならない。それは一般に知れ渡った方法である。歴史的生成を否定するわけではなくて、それを認めはするのだが、内容のない形式として認めるのである。以前と以後とはちゃんと区別されるが、それらは、相互に反映しあうという意味しかもたない。(同前281-282p)

平敷屋エイサーでは聖性は僧侶の姿でシンボライズされます。ところが歴史的に見ると、沖縄における仏教は権力者とともにあり、民衆化されるものではありませんでした。そして支配階層においても薩摩侵攻(1609年)以降は衰退していきます。エイサー青年たちはそのような歴史認識に頓着することなく、エイサーの持つ聖性を僧侶の姿で表現します。それと同じように復帰運動という歴史的事象もブリコラージュの素材として用いられます。「歴史的生成を否定するわけではなくて、それを認めはするのだが、内容のない形式として認める」のです。

歴史認識は効率を昂めるためのものであり、家畜的思考の一面を成すものだとレヴィ=ストロースはいいます。
野生の思考の特性はその非時間性にある。それは世界を同時に共時的通時的全体として把握しようとする。(…)しかしまたこの意味において、野生の思考は家畜化された思考と区別される。歴史認識はこの家畜的思考の一面を構成するものである。すなわち、歴史認識を駆り立てる連続性への関心は、もはや不連続的・類推的認識のあらわれではない。(…)言いかえれば、歴史認識は図式を使って対象を重ねて行くことはやらず、それを余分なものとして棚上げにし、対象を相互に結びつけて根源的不連続性を克服しようとするのである。(同前317-318p)

野生の思考の特性をなす「非時間性」は神話的思考の例に挙げた浦添墓地公園での墓に刻まれた家名に見ることができます。歴史認識が多くのものを省略することによって連続性を保とうとするのに対して、世界を共時的通時的全体として把握しようとするものです。つまりシマ(集落)の創世からの歴史とともにある各家の具体的な配置によって、世界を把握するのです。

6.未来という時間意識の希薄な沖縄の社会

未来という時間意識は近代に誕生するものだと言ってもよいでしょう。なぜなら多くの人々が時計の時間に合わせて仕事をするようになるのは、18世紀後半の西欧で産業革命が起こってからのことだからです。
ムーアの紹介するアレン・クラークの報告によれば、ランカシャー地方のある製粉業の町では、午前5時に蒸気製粉機の汽笛をならして、一日の仕事の始まりが近いことを労働者たちに知らせた。だがこれだけでは目覚しとしては不充分だったので、「戸たたき人」が長い棒をもって寝室の窓をたたいてまわったという。(真木悠介『時間の比較社会学』)

時計の時間は一方的に進み、後戻りすることのない時間です。そのような時計的な時間意識で未来という概念は確立されます。
近代以前の労働は朝昼晩や春夏秋冬という自然の時間にしたがってなされるものでした。そのような自然の時間は循環する(繰り返す)時間意識ですから、未来という時間意識が定着するのは難しかったのです。

沖縄に未来という時間意識が希薄なことが、ある統計データによって明らかになりました。

   国民年金収納率にみる〈沖縄〉

平成16(2004)年5月の国会において、驚くべき数字が公表されました。沖縄県の国民年金収納率の低さについてです。といっても、特に沖縄県だけを取り上げたのではなく、国会答弁の資料として全国の地方自治体の国民年金収納率が公表されたのです。

国民年金は、収納業務が平成14年に、地方自治体から国に移管されました。ところが国に移管されたとたんに、収納率が激減してしまったのです。国会でそのことについての質疑があり、社会保険庁から資料が提出されたのです。このリストは、通常発表されるものではないようですが、たまたま「国民年金の収納対策に関する質問に対する答弁書」(以下答弁書)として衆議院での答弁に提出されたものであり、これにより国民年金保険料収納率の地方自治体水準の収納率を把握できるようになりました。

「答弁書」によると、都道府県単位で見ると、沖縄県の国民年金保険料収納率は38.7%と全国最下位であり、全国平均の62.8%と比べると、24.1ポイントもの開きがありました。沖縄県についで低い大阪府は53.3%の収納率であり、そこと比べても14.6ポイントの開きがあったのです。
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国民年金保険料収納率の高い島根県の76.4%から、——下位から2位の——大阪府にいたるまで、棒グラフはなだらかな坂のように下降線を示していますが、沖縄県において、——46位から47位へは——崖のように急降下するのです。ここに、全国とは異質な沖縄の特異性をみることができるでしょう。

   〈沖縄〉がワースト20までを占める

次にさらに驚くべき事実があきらかになります。国民年金保険料収納率の低い全国の市区町村を調べてみると、ワースト20の自治体はすべて沖縄県と鹿児島県の市町村で占められています。そして鹿児島県下の市町村は、すべて奄美諸島の市町村なのです。つまり国民年金の収納率が低いのは、沖縄県だけではなく、奄美諸島から八重山諸島までを含む広い意味での〈沖縄〉の社会に特有な現象であるということがいえるのです。
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   国民年金という制度自体の要因

奄美諸島から八重山諸島までを含む〈沖縄〉の社会において、国民年金の収納率がきわだって低いということの要因には、国民年金制度という制度自体の要因もあるのではないでしょうか。

なぜならば同じ社会保険である国民健康保険に関しては、沖縄県はそれほど収納率が悪いわけではないのです。厚生労働省があきらかにしている平成18年度の国民健康保険料(税)の収納率は、全国平均で90.39%であり、沖縄県はそれを上回る92.65%となっており、順位としては47都道府県中18位となっています。国民健康保険に関しては、むしろ成績の良いほうに入るのです。つまり国民年金に関してだけ、極端に低い数字が出るのです。

このことは国民年金という制度自体に、〈沖縄〉とミスマッチを起こす要因があるのではないかということを指摘することができます。

国民年金制度とは、老後という未来に対する投資を国家がサポートする制度として位置づけることもできます。国民年金制度が〈老後〉という未来に対する投資であるとするならば、そのことが〈沖縄〉の社会において、国民年金収納率の低下を招いている要因であるということができます。つまり〈沖縄〉の社会においては、未来という時間意識がまだ相対的に客体化されていないのではないかということです。

この国民年金の収納率の極端な低さは、行政的には頭の痛い問題かもしれません。しかし見方を変えるならば、信頼できる多数の仲間が地域におり、その仲間とともに年老いていくのなら、老後の備えはさほど必要のないものといえます。たとえばエイサーの盛んな地域では青年会の人数が50人から100人に至る規模になります。その仲間がそのまま地域に残り、ともに老いるのなら、老後の保障としてこれほど心強いものはないでしょう。

収納率を上げる対策よりも、信頼できる地域コミュニティを再構築することが、真剣に取り組むべき沖縄の課題だといえます。

7.まとめに

野生の思考=神話的思考の社会では、人間の生は生まれ変わりとして捉えられます。朝昼晩や春夏秋冬のように循環する時間意識の中で、人間の生と死も循環するものとして捉えられているのです。

ところが文明社会が勃興するにつれて、そのような死生観は否定されていきます。仏教では生の世界は苦の世界であり、生まれ変わらないことを願うのが成仏となります。儒教では生きているものの世界を死者である先祖が支配します。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教では、神が世界を滅ぼします。世界が終末を迎えた最後の日にモラトリアム状態にあった死者たちが蘇り、神の裁きを受けます。世界の終末後に「天国」の扉が開くのです。古代ギリシャでは哲学者プラトン(BC427-347)が、目に見える世界は洞窟の壁に映った幻影にすぎないと説きます。

これら文明世界に誕生した宗教や哲学・思想に共通するのは、現世の否定です。現世を超えたところに真理があるとする見方です。レヴィ=ストロースのいう「栽培種化され家畜化された思考」というのは、このような文明世界の思考を指すものだといえるでしょう。

仏教が涅槃を語り、儒教・老荘思想が天を語り、ギリシャ哲学がイデアを語り、一神教が天国を語るのに対して、野生の思考はそのような無限のイメージを語ることはありません。必ず手の届く有限の世界を用いるのであり、有限性だけを語るのです。有限性だけを語ることによって、無限のイメージのもとでは視えないものとされていた民衆の世界が可視化されるのです。
涅槃 繰り返す再生の輪廻から解放された状態のこと。
イデア 不完全な現実の世界に対して、完全で真実である世界。

このような古代文明から二千年ほど経ってから、資本主義が勃興します。資本主義は民衆からコモンを奪い取ることによって、原始的蓄積を開始します。

原始的蓄積 資本主義以前の社会において、農民や手工業者が土地や道具を強制的に取り上げられて賃金労働者になり、他方、資本が蓄積されて資本主義が形成されていく過程。


そして19世紀後半の絵画における印象派の時代に、資本主義は世界を席巻して欧米以外の地域を植民地化し、国内では労働者階級から過酷な搾取を行うようになります。20世紀後半から現在に至るまで資本主義は、軍事力や暴力よりも住宅ローンや教育ローンなどの借金によって、人々を支配するようになります。

レヴィ=ストロースは「アルカイック美術、未開美術、および初期段階のプロ美術だけが古くさくならない」と主張します。つまりそれ以外の美術は陳腐化すると指摘しているのです。野生の思考=神話的思考だけがこのような陳腐化を免れ、新たな美(価値)を創出するのだといえるでしょう。

沖縄は1960年代まで神話的思考の息づく社会でした。復帰以降の公共工事、リゾート開発の乱発によって神話的思考は急速に影を潜めようとしていますが、まだ根っこには神話的思考が息づいている状態だといえるでしょう。

レヴィ=ストロースが力技で掘り起こした神話的思考=野生の思考は、沖縄ではわずか半世紀前までは当たり前の日常だったのです。それを掘り起こし、現代的に再構築することができるのなら、沖縄は現代世界に新たな価値を提示することができるのではないでしょうか。

【参考文献】
クロード・レヴィ=ストロース(大橋保夫訳)『野生の思考』(1962=1976年、みすず書房)
クロード・レヴィ=ストロース(三保元訳)『はるかなる視線Ⅱ』(1983=1986年、みすず書房)
小林幸男「エイサーの分類」『エイサー360°』(1998年、沖縄全島エイサーまつり実行委員会)
真木悠介『時間の比較社会学』(2003年、岩波現代文庫)



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