戦後に失われた水田の風景——沖縄

戦後に失われた水田の風景——沖縄
上の写真は、「1945年6月10日,沖縄戦にて。後方に見える“ビッグアップル・リッジ(八重瀬岳)”に向けて進む第96師団第381歩兵部隊の偵察隊。」by 渡邉英徳
下の写真は、「1945年6月10日 八重瀬岳にて撮影された沖縄戦の写真。現在の景観と比較(2019年7月撮影)」by ホリーニョ

両脇の水田の跡がなくなり、サトウキビ畑と耕作放棄地に変わっている。
戦前の沖縄は純農漁村地域であり、1950年代までは自給用の稲作が盛んだった。
1950年代に基地建設のために軍雇用員の給料が3倍に跳ね上がり、
1960年代には砂糖価格が上昇して水田の多くはサトウキビ畑に変わった。
今の七十歳代以上の多くの人は水田で遊んだ記憶があるだろう。
戦禍による被害も大きかったが、
戦後の原風景の喪失も大きかった。



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