——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
日本の婚姻において、女性が法外に素直であり忍従であったということは、一般の印象かと思われるが誤解である。これは武人という一部の階級に、それも近世に入ってから、やや強調せられていた慣行の名残であって、これを全国の生活を代表するもののごとく、考えたりしたことがそもそものまちがいだった。文献で遡ると、16世紀の日本でも「女性が法外に素直であり忍従であった」ことはなかったようである。16世紀後半の日本で布教活動(1563-1597)をしたカトリックの宣教師ルイス・フロイスは、日本の女性が両親や夫にことわることもなく、「好きなところへ行く自由をもっている」ことを記している。ヨーロッパではそのような自由が認められていなかったので、わざわざ記しているのである。
(「婚姻の話」ちくま文庫『柳田國男全集12』)
ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
……
ヨーロッパでは妻は夫の許可が無くては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところへ行く自由をもっている。
(ルイス・フロイス(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』)
このような未婚の娘の旅は、父親は知らないが母親は知っているという母子相伝のものであったようだ。
伊勢参宮なども女が仲間をつくってまいることが少なくなかった。これも愛知県三河(みかわ)山中できいた話だが、嫁入りまえの若い娘たちが何かの折りにしめしあわせて伊勢参宮を計画する。親には内緒で、菅笠(すげがさ)や着物や杖(つえ)など準備し、男を一人たのむ。途中で危難にあわぬための用心棒のようなもので、この人を宰領(さいりょう)といった。そして春さきの夕方に突然村を出てゆく。しめしあわせた一定の場所に集まって、そこからいっしょにあるいてゆく。
(宮本常一『女の民俗誌』)
昔は、若い娘たちはよくにげ出した。父親が何にも知らない間にたいていは母親としめしあわせて、すでに旅へ出ている朋輩をたよって出ていくのである。母親が知っているということは、父親の知らない「女の世間」が存在していたことを物語るものである。
(宮本常一「女の世間」『忘れられた日本人』)
ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸付ける。このように財布が別個にあるからこそ、女性には父親や夫の知らない別の世間があったのだといえる。嫁入り前の娘が旅に出なければならなかったのは、世間を知る必要があったからだ。世間を知るというのは、マーケットと顔つなぎをするという意味を含んでいたものだといえる。つまり、女性の市場で営業活動を開始したのである。
(『ヨーロッパ文化と日本文化』)