村人全員が参加できる結婚式
フランスの社会学者マルセル・モースによると、19世紀のヨーロッパの民衆世界では、結婚式には村人全員を招待しなければならなかった。
今から五〇年とたたない前には、あるいは多分もっと近年になってもなお、ドイツとフランスのいくつかの地域では、一村の全員が結婚の宴に参加したものであった。誰か欠席する者があれば、それは悪い徴候にほかならず、何かが起こることの前触れであり、嫉みをいだかれ、「呪い」をかけられたことの印であった。フランスでは多くの場所で、今でも祝典にはすべての人が参加している。プロヴァンス地方(フランス南東部)では、子どもが産まれると、今でもみながそれぞれに、卵やその他の象徴的な贈り物を持ち寄っているのである。
マルセル・モース(森山工訳)『贈与論 他二篇』(2014年、岩波文庫)
モースが贈与論を発表したのは1925年なので、50年前というのは19世紀後半ということになる。19世紀後半のヨーロッパは帝国主義の時代で、ブルジョワジーとかジェントルマンなどと呼ばれる教養あるアッパーミドルクラスが支配階級として君臨していた時代にあたる。
そのような時代でも、農民たちは結婚式には村人総出で参加したのだ。
このような情景は、16世紀のヨーロッパの風俗画で発見することができる。ピーテル・ブリューゲル(父)による《野外の婚礼の踊り》(1566年)だ。
ピーテル・ブリューゲル(父)《野外の婚礼の踊り》 (1566年、デトロイト インスティテュート・オブ・アーツ蔵)
この絵の左上の方に、地面に四列の溝が掘られているのを確認することができる。
この溝は臨時の食卓や座席を設けるために掘られたものだ。
溝に足を降ろせば、地べたはそのまま座席になり、食卓に変身する。
《野外の婚礼の踊り》細部
おそらくこの溝は、村人全員を招待するために掘られたものだ。
八重山の竹富島の結婚式では浜辺で結婚披露宴が開かれるらしい。村人全員の参加する結婚式が浜辺で開かれるのだ。
民衆層における結婚式は、家族だけのものではない。コミュニティ全員の参加するものだ。
招待客全員が座るために、野原や浜辺が即席の式場に変化するのだ。そこに民衆たちの知恵を見ることができる。
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