昨日、ゆかるひ公民館での講座がありました。
参加者は10人、こじんまりとしていい雰囲気でした。
別添のテキストを1時間ほど読み上げながら解説し、それからフリーディスカッションです。
この時間がとても楽しくてワクワクします。
初参加の70歳代(?)の男性も、くつろいでワイワイ話し合うディスカッションを楽しいと言ってくれました。
ここらへんが街角のブックカフェで講座をやっている醍醐味でしょうね。
贈与論(2)
贈与の霊ハウ、贈与のリンクで結ばれるクラ交易、贈与の戦いポトラッチ
講師:具志堅 要
1.前回のまとめ
人間は他者を恐れるとともに他者と協力しなければ生きていけない矛盾した存在である。他者への恐れを他者との共生に変換させたのが贈与であった。他者への恐怖におびえる存在は「群れ」としての自然な存在であったが、贈与によって人間は、他者と信頼関係を結ぶ「社会的存在」へ変換されることになる。
2.視座
近現代社会は欠乏を前提に経済を成立させます。欠乏しているものが欲望の対象であるという視方です。ところがそのような見方は、未開とか生存経済などと呼ばれる地域では通用しないことがわかってきました。そのような国家成立以前の社会では欠乏状態は少なく剰余の状態が恒常的なものであり、剰余の蕩尽こそが欲望の対象であったと見られているのです。
たとえば石垣島白保で三線教室を主宰している横目夫妻の「さこだはま通信」(
http://piron.ti-da.net/)にあった話ですが、横目氏が知人宅に届け物を持っていくと帰りがけに「栄養ドリンク」を貰います。「栄養ドリンク」を持って歩いていると、親戚のオバが畑の野菜を持っていけと食べきれないほどの「野菜」を持たせます。その帰りがけに、玄関前に座って庭を眺めていたオジに、先ほどもらった「栄養ドリンク」をあげます。
ここで贈与される品物は欠乏しているものではありません。「栄養ドリンク」は石垣島では贈答用に使われる品物です。「野菜」も食物としての意味よりも贈与のためのモノであるという意味合いが強いものでしょう。「栄養ドリンク」についてはわかりませんが、「野菜」は剰余しているものです。その剰余を蕩尽するところにオバの欲望があるわけです。
受け取るほうも蕩尽を拒否することはできません。オジが必要としているかどうかにかかわりなく、オジに贈与することによって「栄養ドリンク」を蕩尽するわけです。
このように剰余するものを蕩尽するという視点から、贈与=交換をとらえたいと思います。
フランスの社会学者マルセル・モース(1872-1950)の『贈与論』をもとにして、前回(3月24日)から贈与論をシリーズにした講座を始めています。
前回の講座では、人間の経済行為は不足したものを補い合う物々交換から発生したのではなく、自己にもっとも貴重なものを他者に贈与する、贈与=交換から発生したのだということを考えました。
今回はモースの『贈与論』のなかでも重要な項目である、「贈与の霊ハウ」、「贈与のリンクで結ばれるクラ交易」、「贈与の戦いポトラッチ」について、簡単に触れたいと思います。モースの『贈与論』は注釈が多く、どちらかというと読むのに忍耐を必要とする論文となっていますが、この3点を押さえると、ある程度の理解ができるものと思われます。
3.贈与の霊ハウ
モースは贈与を成立させるのは三つの義務だといいます。それは、① 贈り物にお返しをする義務、② 贈り物をおこなう義務、③贈り物を受け取る義務、の三つです。モースはこのうちの返礼の義務を、ニュージーランド・マウイ族の贈与の霊・ハウを使って説明しています。
次の引用はマウイ族のインフォーマントの話です。ここで語られているのは二つのことです。一つは返礼は二者間で行われるものではなく第三者も贈与返礼のリンクに含まれるということです。もう一つは、贈り物に返礼をしなければ、返礼すべき品物は不吉なものに変身するということです。
私はハウについてお話しします。ハウは吹いている風ではありません。全くそのようなものではないのです。仮にあなたがある品物(タオンガ)を所有していて、それを私にくれたとしましょう。あなたはそれを代価なしにくれたとします。私たちはそれを売買したのではありません。そこで私がしばらく後にその品を第三者に譲ったとします。そしてその人はそのお返し(「ウトゥ(utu)」)として、何かの品(タオンガ)を私にくれます。ところで、彼が私にくれたタオンガは、私が始めにあなたから貰い、次いで彼に与えたタオンガの霊(ハウ)なのです。(あなたのところから来た)タオンガによって私が(彼から)受け取ったタオンガを、私はあなたにお返ししなければなりません。私としましては、これらのタオンガが望ましいもの(rawe)であっても、望ましくないもの(kino)であっても、それをしまっておくのは正しい(tika)とは言えません。私はそれをあなたにお返ししなければならないのです。それはあなたが私にくれたタオンガのハウだからです。この二つ目のタオンガを持ち続けると、私には何か悪いことがおこり、死ぬことになるでしょう。このようなものがハウ、個人の所有物のハウ、タオンガのハウ、森のハウなのです。Kati ena(この問題についてはもう十分です)。
マルセル・モース(吉田禎吾他訳)『贈与論』
ハウは森の霊であるとともに森の獲物を意味する言葉です。つまり異界に属する霊で、人間界には属さないものです。そのハウが物に憑いていて森に帰ろうとする動きが、人間たちの行なう贈与=交換だということになります。重要なことは物の移動ではなくハウの移動です。物は姿を変えても贈与の霊であるハウは同一のものだとみなされています。
ハウが森に帰還する流れを止めてはなりません。流れが止まるとハウは不吉な力を発揮し始めるからです。
このハウの物語で重要なポイントは、贈与と返礼が二者間で交わされるものではなく、第三者を巻き込む広範囲なものとなることです。贈与返礼が二者間にとどまるものではなく、森から出たハウが森に戻るという物語になっているので、二者間の関係を超えた贈与のリンクが形成されることになるのです。
4.贈与のリンクで結ばれるクラ交易
クラ交易というのは西太平洋メラネシアのトロブリアンド諸島で行われる交易のことです。
クラ交易は、ニューギニア島東端とその北東および東にある島々を円環状に結んで行われ、この円環の周囲は数百キロメートルにも及ぶものです。
宝物には、「赤い貝の首飾り(ソラヴァ)」と「白い貝の腕輪(ムワリ)」という二種類がありました。「赤い貝の首飾り」が時計まわりに島々を巡っていき、「白い貝の腕輪」が反対まわりで島々を巡っていきます。この宝物の受け渡しがクラ交易といわれるものでした。
地図はマリノフスキ著『西太平洋の遠洋航海者たち』に掲載されたクラ交易の地図です。西と北に記された矢印がソラヴァ(赤い貝の首飾り)の方向を示すもので、南と東の矢印がムワリ(白い貝の腕輪)の受け渡しされる方向を示すものです。
宝物を一、二年以上保有する者はいませんでした。宝物は短期間所持すると、必ず次の島に贈与されなければならないのです。このようにして「赤い貝の首飾り」と「白い貝の腕輪」という宝物は、トロブリアンド諸島を含む島々のあいだで巡回されることになります。
どの島でも、どの村でも、程度の差こそあれ、かぎられた数の男たちがクラに参加する――すなわち、品物を受けとり、これを短期間所有して、それから次に送る。だから、クラに関係するすべての男は、規則的にではないが、ときどき一ないし数個のムワリ〔貝の腕輪〕かソウラヴァ〔赤い貝の円盤型の首飾り〕を受けとり、それを取引相手の一人に渡さねばならない。その相手からは、交換に反対の品物を受けとる。このようにして、品物のどちらをも長期にわたって所有しつづけることはない。
B・マリノフスキ(増田義郎訳)『西太平洋の遠洋航海者』
クラは多数の部族を結びつける広範囲の交易システムでしたが、クラの参加者はその交易体系の全貌を把握しているわけではありません。参加者は贈り物を受け取り、贈り物を与えるという規則に従うだけです。全体を指揮し統治する者がいなくとも、各自がこの規則に従うだけで、この広範囲にわたる交易システムは作動していくことになるのです。
彼らは、社会構造の全体的輪郭について、知識を持っていない。自分自身の動機は知っているし、個々の行為の目的や、それに該当する規則も知っているが、これからどのように全体的制度が形づくられるかという問題は、彼らの知能の範囲を越えている。
マリノフスキ、前掲書
クラ交易は言語、文化、人種の違う部族のあいだで行われ、交易に参加する人びとに平和をもたらします。
社会学的にみれば、言語、文化、そしておそらく人種さえもちがう部族のあいだで取引きされるのではあるけれども、クラは一定の不変の状況をふまえて、何千という人々を二人ずつ組ませ、共同関係にまとめあげることを根本として行なわれる。
マリノフスキ、前掲書
クラ交易が複雑で広範囲の共同関係的エリアを形成しているのに反して、クラの参加者たちの行為は自分に与えられた規則に従うだけという単純なものでした。クラという巨大交易システムの構造と自分に与えられた規則に従うだけという単純な行為の組み合わせは、現代思想の一つである構造主義の形成に大きな影響を与えることになります。
それは人間たちの行動は、〔たとえばクラ交易のような〕不可視の構造に規定されているという見方・考え方です。この不可視の構造を発見することにより、理性中心主義的な近現代社会の思考法の限界を超えていくことになります。理性を中心に据えたことにより、西欧社会は理性を持たないと見られた他の多くの社会を植民地とし、女性・子ども・障碍者などを差別し、人種差別を正当化し、生態系の破壊を合理化してきました。その限界を超えることが現代社会に課せられた責務だといえるでしょう。
5.贈与の戦いポトラッチ
ポトラッチというのは、莫大な富や食物の贈与が行われることで知られる北アメリカ北西沿岸インディアン諸族の儀式のことをいいます。
北西沿岸地域は、鮭が地域の河川を遡行し、野生の漿果(ベリー)類はきわめて豊富な地域でした。そのため狩猟も農耕も必要のない暮しでした。自然の生態系を乱さなければ、自然からの贈り物としての富は、尽きることがなかったのです。
北西沿岸インディアン諸族は漁労や採集を中心とする文化でしたが、通常の狩猟採集文化にみられるような、移動式のテント生活ではありませんでした。夏のあいだ、一時的にキャンプ地に移動することはありましたが、海辺沿いに大きな家が立ち並ぶ彼らの冬の村は、ほとんど定住型村落の様相を呈していました。
北西沿岸インディアン諸族の生活は、夏と冬で異なります。夏は分散して暮らし、いろいろなものを収穫します。そして冬には集合して暮らし、宴会を繰り返すのです。その宴会の席で、夏のあいだに貯めていた収穫物を、すべて蕩尽するのです。
彼らの冬季の生活は、最南端の部族においても、夏季の生活と極めて異なっている。季節により部族の生活は二つの形態に分れている。春の終りごろから彼らは分散して狩猟、木の根の採取、山での漿果の採取、川でのサケの捕獲に出かける。ところが冬になると、彼らは「町」と称する集落に集まる。皆で集まって暮らすこの時期には、彼らは常に興奮した状態にあり、夏季に行われる部族の集会に比べて、社会生活ははるかに活発なものになる。部族と部族全体、クランとクラン、家族と家族とが絶え間なく訪問し合う。また繰り返し祭りを催し、祭り自体が相当長期にわたることも多い。結婚の時や、種々の儀礼の時、昇進の時などの場合に、彼らは、夏から秋にかけて、世界中で最も豊かな収穫をもたらす海岸の一つで獲得した獲物をことごとく消費する。これは家族生活さえ同様である。アザラシを仕留めた時、貯蔵した漿果や球根の樽をあける時には同じクランの人々を招待する。鯨が海岸に漂着したような時には人々すべてを招く。
マルセル・モース(吉田禎吾他訳)『贈与論』
このような冬季の宴会がポトラッチと呼ばれるものでした。ポトラッチはいったん開始されると、贈与と返礼の激しい戦闘が繰り返されることになります。贈与に対しては、それを上回る返礼がなされなければなりません。それは「財産の戦い」であり、「富の戦い」でした。実際の戦闘と同じように、返礼によって相手の贈与を上回ることがなければ面子を失い、社会的地位の低下を招くこととなったのです。
北西沿岸インディアン諸族では、たとえば首長に就任するなど絶対に勝つ必要があるときには、相手が返礼できない方法を取らなければならなりませんでした。それは最も高価なものを破壊することだったのです。
いくつかの事例によると、ポトラッチにおいては、お返しを貰うのを望んでいると思われないために、贈与や返礼をせずに、ひたすら物を破壊するのである。彼らはギンダラ(キャンドル・フィッシュ)の油や鯨油の樽をそっくり燃やしたり、家屋や数千枚の毛布を焼き払い、競争相手を「負かす」ために高価な銅器具を壊したり、水中に投げ込んだりする。このようにして自分や家族の社会的地位を高める。
モース、前掲書
破壊されたものを返礼することはできません。そのことによって勝利が確定するのです。なぜそのようなルールが可能になるのでしょうか?それはポトラッチの場が精霊たちの場でもあったからです。
それは宗教的、神話的、シャーマニズム的でもある。というのは、ポトラッチに参加している首長たちは先祖や神々の化身であるからである。
モース、前掲書
つまり、夏季に人間として暮らしていた人々は、冬季には精霊や先祖、神々に変身を遂げ、ポトラッチに参加するのです。精霊たちへの贈与の方法にはどのようなものがあるでしょうか。供物を捧げたり祈りを捧げたりという方法もありますが、最も確実な方法は、物の形を破壊することだったのです。物の形を破壊することによって、人間界とは異なる次元に位置する精霊たちの世界に、霊的な贈り物をストレートに届けることができたのです。
精霊や先祖、神々になされた贈り物は、人間の力によって返礼することはできません。ですから、高価な物を破壊することによって富の戦いに勝つことができ、社会的地位を不動のものにすることができたのです。
6.まとめに代えて
ハウ、クラ、ポトラッチの三つを並べると、贈与=交換のもたらす二つの面が見えてきます。
一つはハウやクラに見られるように、贈与のリンクを広げていくという側面です。贈与=交換しあう関係性は平和を保つ関係性ですから、贈与のリンクが広がるほど、平和で信頼しあえる世界が広がるということになります。
もう一つの面は、クラやポトラッチに見られるような、蕩尽という側面です。クラ交易を行なうトロブリアンド諸島では必要とする食料の二倍が生産されるとマリノフスキは指摘しています。
住民たちは、実際に必要とするより以上に生産する。平作の年でも、食べうる量のおそらく二倍も作るだろう。(中略)くりかえしていえば、彼らは食用作物を得るのに、必要とされる以上の労働をして、このような余剰をつくりだすのである。
マリノフスキ、前掲書
トロブリアンド諸島では男性の収穫物のほとんどは姉妹の夫に贈与されます。贈与は華々しいパレードによって見せびらかされます。その見せびらかしのために、必要とする以上の生産が行われるのです。ポトラッチでも夏のあいだに貯めた富の蕩尽が行われます。そしてもっとも重要なポトラッチでは富の破壊が行われます。
このような富の蕩尽は近現代的な感覚では理解しがたいものです。しかし現在の人類学の知見では、人類史のほとんどの期間にわたって富は蕩尽されていたという見方が定説となっています。
カラハリ砂漠の狩猟遊動民についても、アメリカ・インディアンという定着農耕民についても、計測値は、一日当りの通常の平均労働時間四時間以下という値を与えている。ベネズエラのアマゾン流域に居住するヤマノミ・インディアンのもとに既に数年住みこんでいるJ・リゾは、彼らの社会の成人が、一日当り労働にあてる時間が、全ての活動を含め、三時間を僅かに越えるものであることを計時調査によって確定した。(中略)すなわち、農耕植物の生産(マニオク、トウモロコシ、タバコ、綿その他)は常に集団の消費を超過している。しかも、この生産超過分は、通常労働時間に含まれていることは言うまでもない。超過労働なしに実現されるこの余剰は、本来の意味での政治目的のために、祭宴、歓待の宴、異邦人の到来などの機会に消費あるいは消尽される。
ピエール・クラストル(渡辺公三訳)『国家に抗する社会』
つまり人類史のほとんどを占める国家成立以前の社会では、食料を得るための活動は三四時間で十分であり、それでも多くの剰余を生み出してしまう。そして剰余は祭りや贈与のために蕩尽されてしまうものである、ということです。
近現代社会は欠乏を前提に経済を成立させますが、国家成立以前の社会では剰余を前提に経済を成立させていたのだといえるかもしれません。
参考文献
マルセル・モース(吉田禎吾他訳)『贈与論』(2009年、ちくま学芸文庫)
B・マリノフスキ(増田義郎訳)『西太平洋の遠洋航海者』(2010年、講談社学術文庫)
ピエール・クラストル(渡辺公三訳)『国家に抗する社会』(1987年、水声社)