——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
八柄の鉦の芸が行なわれていたのは、小夜の中山と菊川の里(榛原郡金谷町菊川)との間の東海道筋であった。この芸は俗化した念仏躍りで、『遠江古蹟図絵』には子供が大小八つの鉦を腰に吊るして、体をグルグル回すと鉦が浮き上がって水平になるので、両手にもった撞木(しゅもく・鉦たたき棒)で念仏を唱えながら打ち鳴らすというものである。(中略)
『掛川誌稿』には、
「中山民戸の童子十二三のもの、八ツの鉦を縄を以て腰に結び付て、くるくると廻りながら打つ。一人太鼓を打て旅人を慰む。是を八柄鉦と呼て業とせしものあり。今は絶たり」
とあるから、江戸後期には行なわれなくなっていた。
(『お茶街道/昔ばなし』より)