八柄鉦という大道芸

八柄鉦という大道芸
葛飾北斎筆『春興五十三駄之内 日坂』1804年、アムステルダム国立美術館蔵

静岡県掛川市にあった日坂宿(にっさかしゅく)では八柄鉦(やからがね)という大道芸があったようだ。少年が腰に八つの鉦を着け、くるくる旋回しながら鉦を叩き、念仏を唱えるという芸だったらしい。
ワンダーランド江戸では、日常の空間に芸能が出現したのだ。少年の足元の投げ銭に、芸能と宗教がまだ渾然一体となっていた時代の香りを感じる。

八柄の鉦の芸が行なわれていたのは、小夜の中山と菊川の里(榛原郡金谷町菊川)との間の東海道筋であった。この芸は俗化した念仏躍りで、『遠江古蹟図絵』には子供が大小八つの鉦を腰に吊るして、体をグルグル回すと鉦が浮き上がって水平になるので、両手にもった撞木(しゅもく・鉦たたき棒)で念仏を唱えながら打ち鳴らすというものである。(中略)
『掛川誌稿』には、
「中山民戸の童子十二三のもの、八ツの鉦を縄を以て腰に結び付て、くるくると廻りながら打つ。一人太鼓を打て旅人を慰む。是を八柄鉦と呼て業とせしものあり。今は絶たり」
とあるから、江戸後期には行なわれなくなっていた。
(『お茶街道/昔ばなし』より)


八柄鉦という大道芸
『春興五十三駄之内 日坂』細部



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