モーアシビ考 ⑸ ——ウンジャミと同一の構造を持つモーアシビ——

古宇利島の娘たちは伊平屋島・伊是名島(=伊平屋)の稲や粟の収穫の時期には海を渡り、そこの若者たちとモーアシビをしました。古宇利島の娘たちには稲束が与えられました。その稲束は労働や芸能に対する報酬ではなく、伊平屋の若者たちが古宇利島の娘たちに収める、租税や小作料と意識されていたようです。

謎を解くヒントはウンジャミに

稲束をもらうという報酬が労働や芸能に対する対価ではないとすると、古宇利島の娘たちはなぜ海を越えて伊平屋に渡ったのでしょうか。その謎を解くヒントは、古宇利島の年中行事であるウンジャミ(海神祭)に秘められているような気がします。

ウンジャミは奄美諸島の与論島、沖縄島北部の名護市以北の国頭郡とその周辺の離島などで行われる行事です。地域によってウンガミやウンダミと呼ばれ、本部半島では大折目(ウフウンミ)ともいいます。

ウンジャミは旧暦七月の行事です。盆行事後の亥(い)の日とする所が多く、穀物の収穫を終えた農耕暦の一年の境目の時期にあたります。ウンジャミでは祝女(のろ)を司祭者として、海神を迎え、豊作と豊漁を祈願します。

神事は、集落ごとの変化も大きいのですが、海に突き出た土地から海神を迎え、村の祭場で神歌を歌って踊り、魚の網漁、イルカ漁、船漕(こ)ぎなどの所作事をするのが普通で、競漕(きょうそう)を実演する村もあります。ウンジャミではイノシシを弓矢で射る所作事を行うところもあります。イノシシは山の豊穣をシンボライズしたもので、山の豊穣が海の神に捧げられることによって、海の幸と山の幸が集落に招き寄せられることになります。

古宇利島のウンジャミ

古宇利島では、旧盆後の旧暦七月の初亥(い)の日にウンジャミが催され、豊作と大漁の感謝と祈願を行います。

船漕ぎ儀礼

船漕ぎ儀礼とはウンジャミにおいて神女たちが船を漕ぐ真似をするという儀礼です。古宇利島のウンジャミではフンシヤーという根屋(ニーヤ)(集落の創始者とされる家)の庭に設けられた神の祠(ウミシル神=海勢頭神=船頭神)に東西に縄を掛けて船の形をつくります。船をかたどった縄の中にその中にヌミ(弓の意)と称する6尺位の棒を持っている神女が入ります。神女たちはヌミを立てて、両手で握って輪を描くように上部を回します。これが船漕ぎの儀礼で、古宇利島の神女たちは、幻の船に乗って海に漕ぎ出すのです。

モーアシビ考 ⑸ ——ウンジャミと同一の構造を持つモーアシビ——
古宇利島のウンジャミ 海神の移動を示す船漕ぎ。縄で舟を模す。(野村伸一氏撮影)

神々の交接

かつては男女二人のポーシー神というカミンチュがいました。神女たちが舟漕ぎをしている最中に、縄の外にいる男神人(ポーシー神)が、縄の中にいる女ポーシー神を抱きしめて連れ出し、フンシヤーの一番座敷にあがって共寝の仕草を演じたということです。この行為は類感呪術とされるもので、男女の交接により農作物の豊穣が招き寄せられることになります。

神女たちの祭儀が終わった後に、男性たちによるハーリーが行われます。このハーリー舟もかつては女性たちが漕いだということです。

神女たちの儀礼と娘たちの行動の類似

古宇利島の娘たちは稲穂の収穫の時期に海を越えて伊平屋(=伊平屋島・伊是名島。以下同じ)へ渡ったのですが、それはウンジャミの船漕ぎ儀礼と同じ構造を持つものです。神女たちは船漕ぎ儀礼という幻想の船に乗って海を越えていったのですが、娘たちはリアルな船で伊平屋に渡ったのです。

神女たちは海の彼方の神を迎えに行くという、神話的な幻想を儀礼にしました。儀礼にするというのは演劇化するということです。

古宇利島の娘たちの行動は、神話的な幻想を演劇化したものではなく、神話的な世界をリアルに演じたのだといえます。

つまり古宇利島の娘たちは来訪する神の資格で伊平屋を訪れたのであり、古宇利島の娘たちが来訪することにより、伊平屋に稲粟の豊作がもたらされるのだといえます。

構造として見るならば、古宇利島のウンジャミと古宇利島の娘たちの伊平屋でのモーアシビは、同一の構造を持つものだといえるでしょう。構造で見るというのは、ひとつのものを作りあげている部分部分の組み合わせかたを見るということです。

図式で表すと以下のようになります。

ウンジャミ=a舟漕ぎ儀礼→bポーシー神の交接→c豊穣与祝
モーアシビ=a’伊平屋への渡海→b’モーアシビ→c’稲束の収受

上の儀礼と下の行動が、同一の部分部分の組み合わせであり、神話的な幻想の世界とリアルな世界との違いしかないことがわかります。

モーアシビは単なる歌舞や婚活ではなく、豊穣を招き寄せる神話的儀礼の延長上に位置するものだといえるでしょう。

(続く)



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