温かいごはんと味噌汁は、明治時代の新様式だった

柳田國男によると、明治時代以降に日本の食事は
温かくなり、柔らかくなり、甘くなった。

明治以降の日本の食物は、ほぼ三つの著しい傾向を示していることは争えない。その一つは温かいものの多くなったこと、二つには柔かいものの好まるるようになったこと、その三にはすなわち何人も心付くように、概して食うものの甘くなって来たことである。
柳田國男「明治大正世相編」『柳田國男全集26』1990年、ちくま文庫、55ページ。

柔らかくなり、甘くなった理由を除くと、
食事が温かくなった理由は、
家族の小規模化によるものだった。
近代以前の日本では、
一つの竈で煮炊きしたものを食べるのが「家族」であった。
一緒に住む者ではなく、
同じ火で煮炊きしたものを一緒に食べるのが「家族」だったのである。
大勢で食べるので、食事の支度には手間がかかった。
そのため温かい食事を出すのが、難しかったのである。

家で食物を調理する清い火は、もとは荒神様(こうじんさま)の直轄する自在鍵(じざいかぎ)の下にあったのである。その特別の保障ある製品でないと、これをたべて家人共同の肉体と化するに足らぬという信仰が、存外近い頃まで村の人の心を暗々裡(あんあんり)に支配していた。だから正式の食物はかえって配当が面倒なために、冷たくなってからようやく口に届いたのであった。
同前、56ページ。

和風だと感じられる「温かい飯と味噌汁と浅漬と茶との生活」は、
近代の家族制度が拵え上げたものだったのである。

温かい飯と味噌汁と浅漬と茶との生活は、実は現在の最小家族制が、やっとこしらえ上げた新様式であった。
同前、87ページ。



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