——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
日曜日は、ちょっとお洒落をして、教会の本ミサに出かけて、施しをするのだった。サン=ソーヴール教会に沿って貧しい人々がずっと立ち並んで彼を待ち伏せていたが、しまいには、彼からもっと吸い上げてやろうと、家からカテドラルまで列をなすようになった。持っているものはすべてやるのだった。晩年には、彼がつねにおそれ、二歳年下なのに彼が家の「長女」と呼んでいた妹のマリー、気むずかしい、宗教心に凝り固まったあのオールド・ミスも放っておくわけにはゆかない気持ちになった。彼女は家政婦と取り決めをして、セザンヌに外出のつど五十サンチームしか持たせないように命じた。そうすると、彼は手に帽子を持って、近寄ってくる乞食に、聖フランチェスコのような礼儀正しさと寛容をこめてあやまった。そしてときには相手と二人して道の真ん中に、子供たちのわめき声に囲まれて、赤面しながらそのまま立っているのだった。(ジョワシャン・ガスケ『セザンヌ』與謝野文子訳)