多良間島に《あだんやーぬあず》というアヤグがある。
アヤグというのは宮古諸島の歌謡形態をいう言葉で、神歌を除いた歌のことをいう。アヤグには英雄賛歌や生活労働歌、クイチャーなどの叙事的歌謡、トーガニアーグやシュンカニなどの抒情的歌謡も含まれる。
はじめてこの歌を聞いたときには興味が惹かれた。女性を領主/酋長と呼ぶ歌は聞いたことがなかったからである。
多良間島は、宮古島と石垣島の中間あたりに位置する島だ。北は奄美諸島から西は与那国島にいたるまでの琉球弧で、女性を按司(あじ/あんじ)と呼んだ歌は、現在のぼくの知識の範囲では、この歌ぐらいだろうと思う。
按司は沖縄の古代共同体の首長の呼称だ。それを領主/酋長としたのは、按司が村落共同体の首長クラスから複数の村落を支配する地域的豪族までを含む言葉だからだ。按司が村落共同体の首長クラスである場合は、酋長の方がイメージしやすい。按司が複数の村落を支配する地域的豪族だとすると領主というイメージになる。
《あだんやーぬあず》は二部構成になっている。
その(1)では、ボウという名の女按司が、村落の創設伝承に由緒のある聖地を切り開き、神話的な本家を建設するというものである。
その(2)では、女按司であるボウが屋内を踏みしめることで、その家を本家とする人たちの①長寿、②子孫繁盛が予祝され、③男の子には渚の白砂が米に変じることが予祝され、④女の子には沖合のリーフに砕ける波が宮古上布に変じることが予祝される。
《あだんやーぬあず》の出典は、外間守善・新里幸昭編『南島歌謡大成 3宮古篇』(1977年、角川書店)。
一段目の訳は出典訳で、二段目は
私訳(具志堅 要)である。
あだんやーぬあず(多良間島)
その(1)
出典訳で「アダンヤー」は屋号とされているが、按司を形容する言葉だから、屋号というよりは村落名を表わすのではないかという気がする。
3番目の歌詞で、「自分の夫のいない間に、自分の主人の留守に」と夫の不在が強調されている。夫は不在である必要があったようである。それは夫が「人間」の夫であったからだ。アダンヤーの按司であったボウは、神殿を建立して豊穣を予祝する。つまり神に等しい存在となる。神殿に招かれるのが来訪神だとすると、ボウは神の妻ということになる。神が招かれて来臨するあいだ、「人間」であるボウの夫は、「不在」でなければならなかったのである。
5番目の歌詞に出てくるクサティ山のクサティは、『沖縄大百科事典』によると、「信頼し、寄り添い身をまかす」ことを意味することばである。家や村は寒い北風を防ぐ丘や山をクサティにして南面する立地が良いとされ、その丘や山を「クサティ森(ムイ)」という。
村落に来訪する来訪神はクサティムイに来臨し、クサティムイは村落の御嶽(うたき)となる。そしてクサティムイと村落が接する位置に、村落の創始者の家筋とされる、村落祭祀の中心となる家がある。宮古地域においては、村落の創設伝承に由緒のある聖地(もしくは聖地中の建物)をムトゥと呼んでいるということである。
女按司は聖域であるクサティムイを切り開き、そこにムトゥという建物を創設する。
建物の建築に番匠(大工)の曲尺が用いられるのは、村人の共同作業による建築ではなく、専門職としての大工が建築した家屋であることを意味している。つまり、ムトゥが特別な家屋であることを強調しているのである。
村人が共同作業で建築する家屋は穴屋(アナヤー)と呼ばれ、丸太で小屋組みするものだった。大工が建築する家屋は貫木屋(ヌチジヤー)と呼ばれ、柱に貫孔(ぬきあな)をあけ、貫を通して楔(くさび)で締める構造の建物だった。
特別な建物であるムトゥは、鷲の羽を茅にして葺かれるなどの美しい比喩表現で歌われる。これらの比喩表現は、建物の神話的価値を示すものであった。そして、茅が苔むす長い時間が経過するまで、ムトゥは聖地から動くことはなく、聖地の上で揺らぐことはなかったのである。
あだんやーぬ あずよ すたたんぬ ぼうよ
アダンヤー(屋号)の按司よ、スタタン(屋号)のボウ(人名)よ、
アダンヤーの按司は、スタタンのボウは、
めーぎぶす うぷやーよ
(囃子。見たい、大家よ、の意。以下略)
お目通りしたい 大いなる親方よ
みどんあず やりば ぶなぐあず やりば
女按司であったが、女按司であったが、
女按司だったので、妻である按司だったので、
ならぶとぬ まどん ならしゅぬ まどん
自分の夫の留守中に、自分の主人の留守の間に、
自分の夫のいない間に、自分の主人の留守に、
山なぎば とりむて 先ぶらば とりむて
山鉈(なた)を取り持ち、大鉈を取り持ち、
山鉈を取って、大鉈を持って、
にすぬ山 んでて くさて山 んでて
北の山に出かけ、腰当て山に出かけて、
北の山に出かけて、腰当の山(鎮守の森)に出かけて、
あだん山 ながき さるか山 しゅらぎ
阿旦(植物名)山を伐り開き、サルカキ(植物名)山をきりはらい、
〔刺のある〕阿旦(アダン)の山を刈り開き、〔鋭い刺のある〕サルカケミカンの山を整地して、
やしゅる しゃばらき としゅる しゃばらきて
八尋〔の土地〕を浄め開き、十尋〔の土地〕を浄め開いて、
八尋〔の聖域〕を設けた、十尋〔の聖域〕を設けた、
やしゅるゆーが うつん としゅるゆーが うつん
八尋の土地の内に、十尋の土地の内に、
八尋〔の聖域〕の内に、十尋〔の聖域〕の内に、
やすき型 つふり とくに むらがらし
屋敷型を造り、床根(土台)を盛り上げ、
屋敷の型を造り、土台を盛り上げ、
うぷつとや びしゃし つとがまや かずらし
大石を据え石(礎石)にし、小石を軒石にして、
大きな石は据え石〔にして〕、小さな石は軒の石〔にして〕、
ばんじょうがにし きたうき つぶるがにし ぱらたて
番匠金で〔計って〕桁置きをし、つぶる金で柱立てをし、
番匠金で〔計って〕桁を置き、曲尺(かねじゃく)で〔計って〕柱を仕立てて、
ばすがぱに かややし うりがぷに ぷくやし
鷲の羽を屋根茅にして、その骨をプク(屋根押さえ)にし、
鷲の羽を〔茅葺きの〕茅にして、その骨を屋根押さえにして、
青ちゅなや ふきな まぶちゅなや しみな
青糸の縄(茅縄)を葺き縄〔にして〕、真苧(まぶ)糸の縄を締め縄〔にして〕、
青糸の縄は葺き縄〔にして〕、真苧糸の縄は締め縄〔にして〕、
くがにしや うしゅい なんじゃしや ぎぱしゃし
黄金(編み竹)を覆いにし、銀〔串〕を串刺しにして、
黄金〔の編み竹〕で覆い、銀〔の串〕で串刺しにした。
青なばぬ うゆいけ 黒なばぬ うゆいけ
青苔が生えるまで、黒苔が生えるまで、
青苔が生えるまで、黒苔が生えるまで、
ういかんがぬ くぬむと たいかんがぬ うぇぬむと
動かないこの本家(もとや)、動かない上の本家(もとや)、
動かないこの〔村落創設の〕ムトゥ(本家)よ、揺るがない〔地上における〕天上のムトゥよ。
その(2)
この歌では、稲作の豊作が予祝される。ところが多良間島は隆起サンゴ礁の島であり、高い山や川はない。そのため稲作には適せず、約35キロメートル離れた石垣島の東北部、平久保半島の先端近くに「多良間田(たらまだー)」と呼ばれる田んぼをつくり、稲作をおこなっていたという歴史が残されている。
この稲作豊穣予祝は、多良間島の生態系に対する矛盾を抱え込んだものだといえる。このような矛盾は、「北の海の砂が、潮洗う浜の白砂が、よね(米)になる、こめ(米)になる」という美しい比喩で予祝される。
この歌の後半部で「イラ」という感嘆詞が出てくる。『宮古方言音声データベース』では「イラ ira」は「くらげ。肌に触れると腫れ上がって痛い」という意味になっている。
そこから類推すると、「イラ」という言葉は、「心がちぎれるほどの切実な思い」を表わす言葉なのかもしれない。日本語では「イラ」に該当する言葉を探すことができずに、「ほんとうに」と訳した。
反物についての予祝も、切実なものがある。宮古上布は苧麻(ちょま)を原料とする麻織物で、熟練した人で一日20~30センチくらいしか織れず、一反織るのに2ヵ月以上かかる上布の最高級品とされるものである。
リーフに砕ける波が反物になればというのは、切実な夢物語であり、願いであるといえる。このような営みは、「珊瑚礁に砕ける波が、沖で砕ける白い波が、貢納の反物になる、上納の反物になる」という美しい比喩で予祝される。
アダンヤーの女按司は神話的なムトゥを建設するのだから、村落(=世界)の創設神話にかかわる存在だといえる。このような神話的な存在の願いによって、人間世界の悲惨さは、地上的な苦悩を超えた美しい風景へと変換されるのだといえる。
くぬやすき うつん くぬとくに うつんや
この屋敷の内には、この床根(土台)には、
この屋敷の内を、この礎(いしずえ)の内を、
ばが んーたみみりば ゆふ んーたみみりば
私が踏み鎮(た)め(踏みしめて)みたら、よく踏み鎮めみると、
私が踏み鎮めてみると、よく踏み鎮めてみると、
かたくまぬ かたんや かたうつぬ かたんや
片隅の一方には、片内の片すみには、
片隅の一角には、内側の片隅には、
いぬつばい あんちゅさ ながしゃばい あんちゅさ
長命の栄えがあるということさ、長寿の栄えがあるということさ、
命の栄えがあるという、長寿の栄えがあるという、
あんしーてな ちゅむんま うりしてな ちゅむんま
そのようにさえ思うのだ、それほどにさえ思うのだ、
このようにこそ思うのだ。そのようにこそ思うのだ。
また んーたみみりば ゆふ んーたみみりば
また踏み鎮(た)めみたら、よく踏み鎮めみると、
また踏み鎮めてみると、よく踏み鎮めてみると、
かたくまぬ かたんや かたうつぬ かたんや
片隅の一角には、片内の片すみには、
片隅の一角には、内側の片隅には、
つぶる木が うがねーし ばやう木が うがねーし
夕顔のそれ(実)のように、這う木(夕顔)のそれのように、
夕顔の木のその実のように、這う木のその実のように、
なすがりーぬ あんちゅさ だきがりーぬ あんちゅさ
産し嘉例のあるというさ、抱き嘉例のあるというさ、
おめでたの縁起があるという、〔子どもを〕抱く縁起があるという、
あんしてな ちゅむんま うりしてな ちゅむんま
そのようにさえ思うのだ、それほどにさえ思うのだ、
このようにこそ思うのだ。そのようにこそ思うのだ。
また んたーみみりば ゆふ んたーみみりば
また踏み鎮(た)めみたら、よく踏み鎮めみたら、
また踏み鎮めてみると、よく踏み鎮めてみると、
かたくまぬ かたんや かたうつぬ かたんや
片隅の一角には、片内の片すみには、
片隅の一角には、内側の片隅には、
ゆにむいぬ あんちゅさ くみむいぬ あんちゅさ
米盛り(米の山)があるというさ、米盛り(米の山)があるというさ、
よね(米)の山があるという、こめ(米)の山があるという、
びふがふぁぬ むてや さむるふぁが むてや
〔この家の〕男の子の持ち分は、士の子の持ち分は、
〔この家の〕男の子の持ち分は、侍の子の持ち分は、
にすぬいんぬ んなぐぬ しゅわらぴだ しなぐぬ
北の海の砂が、潮洗う浜(渚)の白砂が、
北の海の砂が、潮洗う浜の白砂が、
ゆにんなりくば いら くみんなりくば いら
米になって来たら ほんとうに、米になってきたら ほんとうに、
よね(米)になるほど〔の持ち分〕だ ほんとうに、こめ(米)になるほど〔の持ち分〕だ ほんとうに、
ういかだな 上納やしゅう たいかだな 上むぬやしゅう
動かないでも上納しよう、動かないでも上納物をしよう、
〔そうなったら〕揺らぐことなく上納しよう、ぐらつくことなく貢納しよう、
あんしーてな ちゅむんま うりしてな ちゅむんま
そのようにさえ思うのだ、それほどにさえ思うのだ、
このようにこそ思うのだ。そのようにこそ思うのだ。
みどぬふぁぬ むてんや ぶなぐふぁが むてんや
〔この家の〕女の子の持ち分は、女の子の持ち分は、
〔この家の〕女の子の持ち分は、姉妹の持ち分は、
ぴしぬ ぶりなんぬ うきんぶり しゃいぬ
干瀬の群れ波が、沖に群れる白い波が、
珊瑚礁に砕ける波が、沖で砕ける白い波が、
しるがない なりくば じょうがない なりくば
白貢租(反物)になってきたら、上等貢(上布)になってきたら、
貢納の反物になるほど〔の持ち分〕だ、上納の反物になるほど〔の持ち分〕だ、
ういかだな 上納やしゅう たいかだな 上むぬやしゅう
動かないでも上納しよう、動かないでも上納物をしよう、
〔そうなったら〕揺らぐことなく上納しよう、ぐらつくことなく貢納しよう、
あんしーてな ちゅむんま うりしてな ちゅむんま
そのようにさえ思うのだ、それほどにさえ思うのだ、
このようにこそ思うのだ。そのようにこそ思うのだ。
(『村誌たらま島』)