《星水(ぷすぃみずぃ)アユ》(波照間島)

波照間島には《星水(ぷすぃみずぃ)アユ》という古謡がある。

「アユ」というのは「アヨウ」のことで、「ジラバ」・「ユンタ」・「ユングトゥ」と並ぶ八重山古謡のジャンルの一つ。喜舎場永珣(1885-1972)は「アユ(アヨウ)」の語源は「肝=心」だとし、祈願の方面に多く歌われるジャンルだと説明している。

星水の星は、喜舎場によると、昴(すばる)星座のことで、星水というのは昴星座が西の海に入没する陰暦四月ごろに降る雨のことだという。

歌は「ゆどぅん(淀み)」という言葉をキーワードにして展開される。
首里・那覇方言には「ゆどぅぬん」という言葉があり、①「よどむ。(水が)とどこおる」、②「立ち止まる、とどまる、一ヵ所に長逗留する」という意味になっている(「首里・那覇方言音声データベース」より)。
八重山語でも「ゆどぅん」はそのような二重の含みをもつ言葉のようだ。

歌は次のような順序で展開される。
1. 星水が淀んでいるのは西の海であり、月水(星水の対語)が淀んでいるのは、月光が真昼間のような真夜中。
2. 王様がとどまるのは、座敷の煙草盆の前
3. 恋しい男が逗留するのは、乙女の家の裏座敷

星月、王様、恋しい男の共通項は、来訪神だ。月光が真昼間のように明るいという情景から来訪神が乙女の家を訪れるというイメージが呼び起こされ、来訪神の高貴さから王様のイメージが呼び起され、来訪神と乙女との聖なる婚姻から恋しい男のイメージが呼び起されている。

出典は、喜舎場永珣『八重山古謡 下巻』で、歌詞は囃子以外のカタカナ表記をひらがな表記にし、「ちぃ」などの中舌母音を「つぃ」などと表記した。

一行目の訳は喜捨場訳で、二段目は私訳(具志堅 要)である。


《星水(ぷすぃみずぃ)アユ》(波照間島)

あようだきぬヨイ ういからヨイ ぷすぃみずぃどぅ ありわるそな
アヨウ岳の頂上から降ってくるのは、昴星座の雨であるようだ
あよう岳の上から〔降ってくるのは〕、星の雨であるようだ

まいぶだきぬヨイ ういからヨイ つぃくぃみずぃどぅ ありわるそな
マイブ岳の頂きから雨が降ってくる、(これは)四月の季節雨であるようだ
まいぶ岳の上から〔降ってくるのは〕、月の雨であるようだ

ぷすぃみずぃのヨイ ゆどぅんやヨイ すぃんぐゎづぃぬ いりゆどぅんどぅ
昴星座の入没(淀み)は、旧暦四月八日から(一週間)見えない西淀みと称す
星の雨が淀んでいる〔所は〕、四月の西の〔海の〕淀みだぞ

くいゆどぅんどぅ ゆどぅんちよるそら いえどぅ しよるそら
この昴星座の入没するのを「淀(よど)ん」と俗称している、そんなに称しているようである
この淀みこそが、「ゆどぅん」といわれるものであるようだ

つぃくぃみずぃぬヨイ ゆどぅんやヨーラ じまなかいどぅ ゆどぅやしようるね
四月八日から一週間昴星が入没(ユドゥン)は、何処の方に淀まれるのであろうか
月の雨の淀みは、どこに淀んでいるのだろうか

つぃくぃみずぃぬヨーラ ゆどぅんやヨーラ まぴるにどぅ ゆどぅやしようるそ
四月の昴星の入没と降雨は、淀みは何時ごろか、真昼間に淀んでいる
月の雨の淀みは、〔月光が〕真昼間〔のように明るい真夜中〕に淀んでいるようだ

しゆがなしめー ゆどぅんやヨーラ ずぃまなかいどぅ ゆどぅんちよるね
主加那志前の玉座は、何処に着座なされるのか
国王様のとどまるのは、どこにとどまるのだろうか

しゆがなしめーぬ ゆどぅんやヨーラ ざしちぱなに ゆどぅんちよるら
御主加那志前の着座はね、座敷の上が玉座であるのよ
国王様がとどまるのは、座敷の最も高いところにとどまるんだよ

たばくぶんどぅ まいなしたるら たばぐふき ゆどぅんちよるら
煙草盆を前に据えて、煙草を喫しておられるのだ
煙草盆を前にして、煙草を吹いてとどまっているんだよ

ばぬびぎれま ゆどぅんやヨーラ ずぃまなかいどぅ ゆどぅんちよるね
私の恋男の憩いの場所は、何処に安息しておるのか
私の恋しい男がとどまるのは、どこにとどまるのだろうか

ばぬびぎれまぬ ゆどぅんやヨーラ みやらびやーぬ うらぬやごに
私の恋しい男の憩いの場所は、恋女の裏部屋である
私の恋しい男がとどまるのは、みやらび(乙女)の家の裏部屋だよ

ばびぎれまや あたみやごに ゆどぅんちようる えーしよーるら
私の恋男は後目(アトメ)の入口からはいった裏部屋に安息しておられる、あ!間違いなくそのとおりだ
私の恋しい男は裏口の部屋でとどまっている、あー間違いなくそのとおりだ


同じカテゴリー(八重山歌謡)の記事