名前をもたない神々
宗教のネットワークのない沖縄のシマ社会
こんにちは。YouTubeチャンネルの『無縁の縁(えにし)』です。
https://youtu.be/0mGDv9z9vsI
しばらく
沖縄のシマ社会について 考えてみたいと思います。
シマというのは アイランドとしての島 のことではありません。
字(あざ)単位の 沖縄のコミュニティのことを いいます。
沖縄のシマと日本のムラと
社会構造はよく似ています。
ところが大きな違いがあります。
それは
シマの神様には 名前らしい名前がないということです。
南西諸島鉱物資源調査写真《1938年、宮古島》 (沖縄県公文書館所蔵資料)
写真は1938年の
宮古島の聖域にお籠りする
女性たちを写したものです。
沖縄の聖域はこの写真のように、
社殿や鳥居などもなく、
神の名もないものが少なくありません。
たとえば1713年に成立した
『琉球國由来記』には、
「イベヅカサ」などのように
イベという言葉がついた神の名が たくさん出てきます。
ヅカサは司(つかさ)で。司る者の意味です。
イベの音声表記はイビで、
神の依代(よりしろ)としての 霊石(れいせき)や霊木(れいぼく)、
あるいは杜(もり)の中の
神の坐(いま)す 神聖なところを意味します。
聖域にある石や木などを指す言葉が
神の名とされているのです。
日本のムラのお寺や神社には
観音菩薩(かんのんぼさつ)とか イザナギなどという名前の神様がいます。
沖縄のシマには
そのような固有名詞をもつ神は
ほとんどいないのです。
なぜでしょうか。
それは、他のシマの神と自分のシマの神とを
区別する必要がなかったから
だといえます。
シマの人たちは自分たちのシマの神だけを拝みます。
ですから、神は神であるというだけで十分であり、
それ以上の説明は必要なかったのです。
(同前)
日本のムラと沖縄のシマの違いは、
信仰が
日本では、ヒエラルキーのネットワークに組み入れられているのに対し、
沖縄では、組み入れられていないという点にあります。
日本のムラのお寺や神社の
仏像や神様には名前があります。
名前があることによって、
ネットワークの中を流通していくのです。
沖縄のシマには、
信仰というヒエラルキーのネットワークは形成されていません。
各シマの神を統一するような宗教は存在しておらず、
シマは各自の神を崇拝しています。
そのため隣のシマの神とさえ
共通する信仰をもたず、
互いに異なる神を信仰することになります。
沖縄の社会を理解し、把握するためには、
沖縄のシマの神々には、固有の名前がないのだということを
初めに理解する必要があります。
イメージとしては、
日本のムラの神社や寺が全国的なネットワークを持つのに対して、
沖縄のシマの宗教には、そのような全国的なネットワークはありません。
沖縄県レベルでのネットワークもなく、市町村単位のネットワークさえありません。
シマという字単位のコミュニティの内部だけで
成立する宗教なのです。
今回はここまでです。
次回は他シマの聖域は「侵すべからざる存在」
であることについて考えます。
関連記事