神話的世界と近代化の接続:謝名城の豊年踊りを見て

昨日、大宜味村謝名城(じゃなぐすく)の豊年踊りを見てきた。
謝名城は79世帯、178人(2015年国勢調査)の集落。
城(ぐすく)、根謝銘(ねじゃめ)、一名代(てんなす)という三つの集落が1903年に合併して、それぞれの集落名から一字をとって謝名城となる。

午後2時から道ズネー、5時から七月ディーとエイサー、7時から舞台というスケジュール、
神話的世界と近代化の接続:謝名城の豊年踊りを見て
時間が長いので、5時からの七月ディーとエイサーから見る。

七月ディーは女エイサー。
演舞が終わってモーヤーに入ると、踊りに腰を揺らしての滑稽な振りが入る。
エイサーという芸能がそもそも滑稽な芸能であったことがわかる。

七月ディーに続くエイサーは男女混合だ。
エイサーの曲目は、モーアシビエイサーのレパートリーに加えて古典芸能(宮廷舞踊)も入る。
エイサーの始まりは大正3(1914)年というアナウンスがある。
おそらく位牌と財産の父系嫡男優先相続を定めた明治民法の施行(1898)によって位牌祭祀が民衆化する。
そのことによって位牌が重要な意味を持つことになり、祖先供養としての女エイサーが始まるのだろう。
女エイサーが始まった十数年後に男女混合のエイサーが始まり、その時に近代の那覇の街で誕生した雑踊(ぞうおどり)や宮廷の古典芸能が取り入れられたのだろうか。

午後7時からの舞台は1時間ほど見て引き上げる。
豊年踊りは大正13(1924)年に始まったとされる。
初めに「長者ぬ大主(うふしゅ)」、
長寿の長者に女踊りの二人、男踊りの二人が従う。
女踊り、男踊り共に、豊年を予祝するものだ。
単なる芸能ではなく、来訪神出現の形をとる。
だから何かが乗り移っており、流派の芸能とは異なり、一挙一動に魅入られてしまうのだ。

舞台から離れることはなかなか難しかったが、5時から来ていることもあり、途中で切り上げた。
後で聞くところによると、午後10時まで舞台は続いたとのこと。

島袋源七『山原の土俗』(1929年)によると
大宜味城(ぐすく)のウンガミ(海神祭)は、字田嘉里(たかざと)・謝名城・喜如嘉(きじょか)・饒波(ぬうは)・大宜味の各字の神人数十人集合して盛大なものであったという。
ウンガミが終わると各字の氏子はそれぞれの集落で臼太鼓(うすでーく)踊り、村芝居、エイサー等の外、思い思いの余興を催して楽しく過すと記されている。
それからすると、エイサー、豊年踊りはウンガミの神女たちの祈願が晴れた後の余興だったということになる。
神をもてなす神女たちの祈りが基層あり、その基層の上にエイサー、豊年踊りがあるのだといえるだろう。
つまり、ウンガミという神話的世界を基層にして、女エイサー、エイサー、豊年踊りが近代化の中で出現していったといえる。
それは神話的思考に歴史的事象が接続されることにより、誕生する芸能だといえるだろう。

ボクたちは神話的世界と近代化という知の考古学に立ち合ったのだ。
そしてその芸能の舞台は現代社会に接続されている。



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