生産のための道具に変身させられる労働者

豚を解体しそのすべての部分を捨てることなく利用し尽くすという文化から
遠く離れたところでボクたちは、生きている。
スーパーなどでそれらの部位を買うだけだ。

南アメリカでは「毛皮や脂肪を取るために一頭の獣全体を屠殺する」とマルクスはいう。
それは豚の部位だけを買うというボクたちの消費行動の表裏をなすものだろう。
労働が単純な協業から工場手工業(マニュファクチャ)に移るとき、
労働者は道具を使う者ではなく、
生産のための道具に変化させられてしまう。

資本主義の大きな搾取は、
労働者を生産のための道具に変身させてしまうところにあるのだろう。
そして優秀な道具になるために、人々は互いに争ったり、争いに敗れたりするのだ。

単純な協業は、個々人の労働様式を大体において変化させないが、工場手工業(マニュファクチャ)は、それを根底から変革して、個別労働力の根本を捉える。それは生産的衝動と素質の総体を抑圧することによって、労働者の局部的熟練を温室的に助長して、彼を不具にし、奇形物とする。あたかも、ラ・プラタ州において、毛皮や脂肪を取るために一頭の獣全体を屠殺するのに似ている。
(カール・マルクス「第12章 分業と工場手工業(マニュファクチャ)」『資本論(二)』岩波文庫版)



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