エドワード・カーティス撮影による1890年代末から1920年代にかけての北米インディアンの写真を眺めていると、ぼくたちは高齢のインディアンの美しい皺に出会うことになる。その美しい皺に出会うたびに、ぼくはある言葉を思い出す。それは正確には思い出せないが、「日本人の顔から美しい皺はなくなってしまった」という言葉だったとおもう。
その言葉は1980年代のある日の新聞で見かけたもので、記憶の片隅にだけ残っている言葉だ。新聞にエッセイを書いていたのは、中国南部や東南アジアに住む少数民族をテーマに写真撮影を続けている人だったとおもう。撮影旅行から日本に帰ってくると、日本人の顔から美しい皺がなくなっていることに気づいてしまうとその人は書いていた。
その指摘で気づいたのだとおもう。1980年代の半ばころ、ぼくたちの周辺から、深い皺を刻んだ顔を見かけることが少なくなっていた。そのような顔を見なくなったのは、日本や沖縄の日常の風景の中で、行商の人たちの姿が消えていくのとほぼ同時期だったような気がする。1980年代までは、金だらいに魚を乗せて糸満女性が首里の家々を巡って魚を売り歩く風景があった。首里と糸満では一里半(約6キロメートル)の距離があった。
時代は大きく変わろうとしていた。おそらく何千年も続いていた行商の文化が途絶えようとしていた。そのことは、日本や沖縄が古いアジアの文化から離れることを意味していたのかもしれない。
ところでその写真家やぼくは、なぜ1970年代までの日本や沖縄の高齢者の深い皺を、美しいものと感じてしまったのだろうか。見ることが少なくなってから気づく深い皺への愛着は、敬老精神に基づくものだとは思えない。
沖縄の民謡をちょっと調べてみると、敬老精神の感じとれる歌は、旧士族階級の教訓歌か近代に入ってから――1920年代から30年代にかけての出稼ぎ、移民の時代――の歌が多数を占めることがわかる。民謡から旧士族階級や近代の家族離散の状況下で生まれた歌を除いてみると、近代以前の民衆層の歌が残る。近代以前の民衆層の歌には親孝行や敬老精神を歌った歌は少ない。圧倒的に多いのが、「心はいつも十七、八」というモチーフである。何歳になろうと、心の中はいつも十七、八歳のままだということである。なぜ十七、八歳が重要視されるのだろうか。
沖縄では正月に若水を飲むという習慣があった。元日早朝に汲んできた水を若水というのである。正月にその若水を飲むと、蛇のように脱皮して若返るという説話が各地に残されている。ロシアの東洋学者であるニコライ・ネフスキー(1892-1937)は、1922(大正11)年に宮古島を訪れ、次のような話を聞き出している。
月に就て云々してゐないが、前記のものに類似した伝説を大正11年夏、故富盛寛卓氏より聞いたことがある。即ち「節祭(シツ)の夕には蛇より先に人が若水を浴びて居つたから、人が若返り、蛇は若返らずに居つた。処がある年、蛇にまけて人が後で若水を浴びたから、蛇が若返り人は若返らぬ様になつたといふ。」
どういう様子で当時若返つたものかといふ私の問に、富盛氏は蛇の様に皮を脱いだものだと答へた。(岡正雄篇『月と不死』)
シツ(節)というのは、地域によってはウユミ(大折り目)と呼ばれることもある夏に行われる正月儀礼のことだ。沖縄の伝統的な社会では、夏と冬、年に二度の正月を迎えた。宮古島の説話に見るように神話時代には、このシツの日の若水を飲めば、人間は脱皮して若返ることができたのだ。
このように人間が脱皮して若返るという説話は、南太平洋に位置するメラネシアのトロブリアンド諸島にもある。第一次世界大戦中(1914-1918)にトロブリアンド諸島で参与観察を続けたポーランド出身のイギリスの人類学者ブロニスワフ・マリノフスキ(1884-1942)によると、「トロブリアンド島民にとって老年は自然状態ではない」という。
トロブリアンド島民にとって老年は自然状態ではない。――老年は事故であり、災難なのだ。大昔のこと、人類が地下からはじめて現われた時、人間は随意にふるびたしわのよった皮膚を脱ぎすてて若返ることができた。あたかもそれはカニや蛇やトカゲがときどき古いからを脱いで新しい生活をはじめるのと同じなのだ。人間は不幸にしてこの術を失ってしまった。――伝説によると、女の祖先が不品行だったからという――しかしトウマ島ではこの幸福な霊魂たちはこの技術を記憶しつづけてきた。彼らは年取ったとなると、たるんでしわのよった皮膚を脱ぎ捨てそしてやわらかな体、黒い髪の毛をして精力に満ち満ちて現われてくる。彼らは愛と喜びにみちた青春を永遠にくり返すのである。(泉靖一他訳『未開人の性生活』)
トウマ島というのは、死者の霊がおもむく離れ島のことをいう。トウマ島では人間は脱皮することができる。だから「愛と喜びにみちた青春を永遠にくり返す」ことになる。永遠の青春に飽きたら、胎児となって生まれ変わるのである。
トロブリアンド諸島でも「人間は随意にふるびたしわのよった皮膚を脱ぎすてて若返ることができた」。宮古島のシツの若水の由来と同じ内容の話である。この二つの類似した説話から共通項を取りだすと、人間の生を一回きりのものとしていないということである。
人間はいつでも脱皮することができたので、老年は自然状態ではなかった。「心はいつも十七、八」でかまわなかったのである。そこで問題になるのが、内面性である。生が一回きりのものであるとしたら内面性は重要なことになるが、生が一回きりのものでなかったとしたら、人間の内面性はさほど重要性を持つものではなくなるということである。
仏教では生の一回性(生まれ変わらないこと)が求められ、啓典宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)では生を一回性のものとする。そのような宗教では心の中の内面性を探ることが重要になる。一回きりの生で生き方を誤ることは、許されないことだからである。
ところが一回きりの生をイメージすることのできない社会では、内面性ではなく、外面性が重視されることになる。通過儀礼における入墨などのような身体加工が、内面性よりも重視される。「人間は随意にふるびたしわのよった皮膚を脱ぎすてて若返る」ことができるのだから、服を着替えるように、皮膚に加工を刻印するのである。
皮膚への加工は身体装飾にはとどまらない。皮膚への加工は人間の手によってなされるだけではなく、人間の関係性によってもなされる。コミュニティの守るべき掟、家族や親族を思いやる心情、そういう人間の関係性が、皺として皮膚に刻み込まれることになる。皮膚は読まれるべき書物になる。作者はコミュニティだ。ぼくたちはその書物から、コミュニティの神秘を読み解くことになる。
ぼくたちは個人や家族、親族がまだコミュニティと分離しなかったときの刻印を高齢者の皺の中に発見するのだ。そしてまだ幼い自分がそのような皺だらけの顔に見守られ、保護されていたことを思い出し、安心するのだ。そのとき顔に刻みこまれた皺は、無類の美しさを発揮することになるだろう。

古風なアラパホ族(1910年)

壺の土づくり(ホピ族、1921年)

クラマス族の老婆(1923年)

古風なユーロク族(1923年)

喪に服する老婆(ユキ族、1924年)

ポモ族の老婆(1924年)

ブラッド族の老婆(1926年)

ブラック・ベリー(チェイニー族、1927年)