ウンジャミ
奄美から八重山までの琉球弧と呼ばれる島々では、小高い丘に登ると、海が見えます。海と丘の間には集落が見えます。丘の上から見える広大な海を前にして、人間たちの営みはいくぶんこころもとないものに見えます。空と海との圧倒的な風景の中では、人間たちの集落は貧しい地上に貼りついたものにしか見えないからです。空と海との間のわずかな平地を切り拓けて人間たちは自分たちの生きる領域を確保してきたのです。
それは自然の領域を侵犯した傷口のようにも見えます。その傷口を癒すために空からの祝福と海からの祝福を招き寄せなければならなかったのかもしれません。人間たちの共同体はそのような祝福を受けないかぎり、あまりにもこころもとない孤独なものに見えたのです。
丘から集落を眺めていると、その視線の先に海辺の小島や岩が見えます。たぶんそこが海から漂ってくる神や霊や精霊といわれるものたちの上陸するポイントです。そしていま立っている丘の上からの眺望は、人間たちをはるか頭上から見下ろす神の視線です。その海辺のポイントと山頂からの眺望のあいだに集落があります。
この空と海のあいだで人間たちはどのようにして祝福を招き寄せたのか、それを考えるちょうどいいサンプルとして、旧暦七月に山原(やんばる)地方を中心に行われる「ウンジャミ」と「シヌグ」の祭りがあります。「ウンジャミ」と「シヌグ」は対になる祭りですが、祭りの内容が地域によって大きく異なり、原型をイメージするのがむつかしい祭りです。この二つの祭りを区分けしてみますと、「ウンジャミ」は女性の霊力が重視される祭りで、「シヌグ」は男性の霊力が重視される祭りだということができます。
「シヌグ」はおそらく男たちが山に篭り神の子として生まれ変わる変身の儀礼だろうという考察を、先月号でしました。今月は「ウンジャミ」の意味について考えてみます。
「ウンジャミ」はどのような祭りなのでしょうか。特徴的なことを列挙すると、多くの地域で弓を持つ儀礼と舟漕ぎの儀礼があること、女性が神の役割を果たすこと、鼠を浜に埋める地域があること、猪狩りの儀礼があること、魚取りの儀礼があることなどがあげられます。「ウンジャミ」は今帰仁村や本部町では「ウプユミ(大折目)」とも呼ばれます。大きな折目ということですから、一年を区切る最大の祭りだという意識があったのでしょう。
国頭村安波では「ウンジャミ」の起源について、山の頂上から神があらわれて人間たちに農耕や機織りを教えたという説話(『国頭村史』)があります。また、名護市名護三箇(城・東江・大兼久)の「ウンジャミ」では、蓑笠を着けたひとりの男が山から下りる神女たちの列を拝んだ(『やんばるの祭りと神歌』)ということです。蓑笠姿というのは、祭りの中で扮装されるときときには、ただの雨具ではなくて、農耕神をあらわす姿になります。その姿は『日本書紀』にあらわされた高天原(たかまのはら)を追放されたときのスサノオノミコトの姿です。スサノオは農耕や機織りに関するタブーを破り、高天原を追放されるのですが、タブーを破ることにより、農耕神となります。農耕は自然秩序に対する侵犯であり、だれかがその罪を背負わなければならなかったのです。スサノオは本来は海原を支配する神でした。それが高天原に登り、タブーを犯すことにより、農耕神として追放されるのです。
「ウンジャミ」という言葉の意味には、まだ定説はありませんが、柳田國男は奄美で鼠をさす忌名の「ウンジャガナシ」との関連性を示唆しています(『鼠の浄土』)。奄美では海から上陸する鼠の妖怪、海鼠のことを「ウンネジン」といっています(名越左源太『南島雑和』)ので、「ウンジャミ」との関連はありそうです。海と鼠というと、久米島の浜下りのときに唱える「オタカベ」では、鼠のことを太陽の子であるが、狂った子だといい、海の彼方のニライカナイに押し篭めるように祈っています(『久米仲里旧記』)。海から上陸した狂った神を追放するという側面では、鼠とスサノオはイメージが重なります。国頭村比地と名護市三箇の「ウンジャミ」では鼠を砂に埋め、大宜味村謝名城では海に流します。おそらく鼠と「ウンジャミ」との結び付きについて否定することはできないものと思われます。

国頭村比地のウンジャミ。祭祀に用いる鼠がパパイアの実のなかに入れられている。(1996年8月30日、野村伸一氏撮影以下同じ)
「ウンジャミ」のもうひとつの起源説話として、大宜味村塩屋では、毎年美人を棺に入れて人身御供として海に流したという伝承(『沖縄県国頭郡志』)があります。スサノオがタブーを犯した相手はアマテラスでした。アマテラスは別名オオヒルメムチといいます。折口信夫によると、ヒルメというのは禊を勧める役の神女のことであり、オオヒルメムチというのはその神女の中で最高の位に位置するもので、水の神に仕えている巫女(みこ)のことをさしている(『石に出で入るもの』)ということです。スサノオは海原を支配する神ですので、スサノオを水の神だとした場合、アマテラスはスサノオに仕える神女だということになります。つまり、スサノオが海の神から農耕神へ変容を遂げるあいだをつかさどる神女だということになります。その変容を遂げるためにスサノオは様々なタブーを犯しますが、アマテラスもその共犯となり、死にいたります。『古事記』では、スサノオが皮を剥いだ馬を忌服屋(いみはたや)の天井から投げ入れたときに、服織女(はたおりめ)がびっくりして機織りの横糸をとおす道具に性器を突いて死んでしまいますが、『日本書紀』ではそれはアマテラスの行為になっています。そして天岩戸に隠れるのですが、それは儀礼的な死をさしているものと思われます。
塩屋の説話も同じ意味です。神女の儀礼的な死によって海の神を農耕神に変容させ、それと同時に自然秩序を侵犯した罪をあがなうのです。そして罪は鼠などとともに海に流されるのです。つまり、「ウンジャミ」は海の神を農耕神に変容させる祭りであり、女性たちをその神に仕える「ヒルメ」に就任させる祭りであったものと思われます。
(『おきなわJOHO』1998年7月号)

大宜味村塩屋のウンガミ。神女の乗った舟を女性たちが腰まで海水に浸りながら迎える。舟に乗った神女は、水の神(=海神)に仕える巫女ということになるだろう。

集落の女性成員の全員による招きを受けて、海神はシマに上陸し、農耕神へ変容していくのだと思われる。