アルス・エロチカ「浮気之相」

浮気しそうな顔ってあるのだろうか。

女性を描かせたら、歌麿に敵う画家なんていないような気がする。

ミシェル・フーコーは、性の真理を生み出すために、性愛の術を備えた社会と性の科学を実践している社会との二つの社会があるという。

歴史上、性の真理を生み出すためには、二つの大きな手続きがある。
一方には、性愛の術(アルス・エロチカ)を備えた社会があり、しかも、中国、日本、インド、ローマ、回教圏アラブ社会など、その数は多かった。(中略)我々の文明は、少なくとも一見したところでは、性愛の術(アルス・エロチカ)を所有してはいない。そのかわりに、性の科学(スキエンチア・セクスアリス)を実践している恐らく唯一の文明であろう。
ミシェル・フーコー(渡辺守章訳)『性の歴史Ⅰ 知への意志』


近代以降の日本は性愛の術を闇に葬り、性の科学を実践してきた社会だ。
だから歌麿の描く女は身近にいるような気がしながらも、触れることもできないほど遠い存在であるような気もしてくる。

アルス・エロチカ「浮気之相」
喜多川歌麿《「婦人相学十躰」 浮気之相》 (1792-93 年、東京国立博物館)



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