姿を消していく放浪する人々

姿を消していく放浪する人々
レンブラント《放浪する農民の家族》 (1652年、アムステルダム国立美術館蔵)

ポストモダンの思想家ミシェル・フーコーは、16世紀末から17世紀初頭にかけての西欧で「収監する社会」が来るという。

まず、追放する文明がある。つまり種々の違法行為、犯罪行為に対処せねばならない、あるいはもはや手に負えなくなった人間たちをなんとかしなければならないといった際に、そうした行為や人間を社会から一掃し、追放することをもって旨とする文明です。それから、殺戮する社会、拷問する社会がある。いま言ったような人々たちに対し、拷問や死刑をもって応じる社会です。その次に収監する社会がくる。
ミシェル・フーコー(小林康夫他訳)『フーコー・コレクション4権力・監禁』(2006年、ちくま学芸文庫)


放浪する人々は追放され殺戮されていたが、
近代市民社会を迎えるにあたり、
人々の放浪が許されず、
刑務所や救貧施設に収容されるようになってくる。
放浪する人々の姿が街や村から消えるとき、
近代市民社会が堅固な姿を現わすことになる。
レンブラントは乞食をはじめとして放浪する人々の姿を数多く描いた。
そのような人々は社会の表面から姿を消し、
歴史からもその存在を忘れられていく。



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