——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
十七世紀の初頭には、まだある種の率直さが通用していた、と人は説く。現実の行動において秘密めかそうとすることはほとんどなかった。言葉で言うことを極端に避けるとか、その事柄自体も殊更に上辺を繕って行われるとかいうことはなかった。人々は許されざることとある種の寛容な親しさの関係を保っていた。卑俗なもの、猥褻なもの、淫らなものの基準(コード)は、十九世紀のそれに比べればずっと緩やかだった。直接的な仕草、恥かしいとも思わぬ言説、はっきり目に見える侵犯行為。あけすけに体も見せ、簡単に結合させる。ませた子供たちが走りまわっても、大人たちは大笑いするだけで、誰も照れたり恥かしがったりしない。つまり誰の身体(からだ)も、いわば孔雀が羽根を拡げるように大手を振って歩いていた。(フーコー『性の歴史:知への意志』)