19世紀イギリスのリストラ地獄

マルクスによると、「1852年と1862年とのあいだに、イギリスの羊毛加工業は著しい膨脹を示した」。

1852年と1862年とのあいだに、イギリスの羊毛加工業は著しい膨脹を示したが、使用労働者数は、ほとんど変わらなかった。
(マルクス『資本論(二)』岩波文庫版449ページ。)


しかし「使用労働者数は、ほとんど変わらなかった」のではなく、大幅に減少した。

『工場監督官報告書。1862年10月31日』79ページ。
第二版への追補。1871年12月末、ブラッドフォードで行なった「新機械協会」の講演で、工場監督官A・レッドグレーヴはこう述べた、「この数年来、私の注意を惹いたのは、羊毛工場の変化した有様だった。以前は、そこには婦人と児童が充満していたが、いまでは機械装置が、すべての作業を行なうように見える。私の質問に答えて、一工場主は次のように説明した。古い方式のもとでは、私は63人を使用していたが、改良された機械装置の採用後は、職工を33人に減らし、また最近では新たな大変化の結果、それを33人から13人に減らすことができた、と。」
(前掲書450ページ)


19世紀後半のイギリスでは産業革命が進行した。
その結果、例であげられた工場では、63人の職工を13人にまで減少させたのだ。
これはIT革命の続く現代とほとんど同じ構図だといえるだろう。
富裕層の好き勝手にまかせると、多くの人が仕事を失い、
その結果、低賃金労働者に落とされていく。
労働者を守るという労働組合らしい労働組合も少ない日本では、
19世紀イギリスの再来になりかねない。



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