モースの『贈与論』によると、19世紀のフランスでは「婚礼の祝宴には村民全員が参加」する地方が多く存在していた。
およそ五十年前、おそらくはもっと最近まで、ドイツやフランスのある地方では、婚礼の祝宴には村民全員が参加していた。誰かが欠席することはまさに凶兆で、妬みや「呪い」の前ぶれ、証しであるとされたのである。村人すべてが儀式に参加するというような地方が、フランスにはまだ多く存在する。
マルセル・モース(吉田禎吾他訳)『贈与論』1925=2009年、ちくま学芸文庫、261-262ページ
私事になるが、1980年代の沖縄県名護市で結婚式を挙げたとき、招待客は200人を超えていたと思う。どうしても招かなければならない人々でそれくらいの人数になった。
しかし驚いたのは、披露宴を終えてからのことだった。
実家に招待から漏れた地域の人たちが祝福に訪れたのだ。
当人たちは2次会も終えホテルで休んでいたのだが、
実家では夜中まで、両親が近所の人たちの接待をしたという。
おそらく結婚式というのは地域コミュニティの全員が参加するものだったに違いない。
1980年代の名護市あたりでは、まだその遺風が残されていたのだ。