モーアシビ4 (沖縄情報1997年8月号掲載)

モーアシビ4

今回は、よそのシマとの〈モーアシビ〉の交流について、考えてみましょう。

六月号で、〈シマ〉は外部に閉ざされた共同体であることを書きました。たとえば婚姻についても、よその〈シマ〉との婚姻は嫌われました。よその〈シマ〉のいい男よりは、同じ〈シマ〉の悪い男の方がまだマシである、というのが、一般的な見方でした。同じ〈シマ〉の男女で結婚するのが普通だったようです。

ところが、〈モーアシビ〉だけは、同じ〈シマ〉の中でやるだけではなく、よその〈シマ〉にも出かけ、合同で遊んだようです。この相反する現象も〈境界〉という視点からとらえ直すと、たやすく解くことができます。〈境界〉は〈異界〉と〈シマ〉との接点でした。おとなと子どもの〈境界〉に属する青年たちは、〈異界〉を自由に行き来することのできる存在でもあったのではないのか、という考察を七月号では進めて来ました。〈シマ〉を包む漆黒の闇は自由な空間であり、そこに足を踏み入れたときから、所属する〈シマ〉の軛(くびき)からも解放された、と考えることができます。一里(約四㎞)ぐらいは〈モーアシビ〉の通常の行動半径だったようです。

そのように〈シマ社会〉は、大人になるための通過儀礼のうちに、一度は〈シマ社会〉から解放されるというシステムを持っていたような気がします。ただし、それは永続的なものではなく、大人になったとき=婚姻するときは、再び閉ざされた〈シマ社会〉の掟に従属する、というものでしょう。

よその〈シマ〉に遠征するのは、男だけではなく、女性陣も多かったようです。男たちは女性たちが〈シマ〉の外へ遊びに行かないように見張っていたようですが、その包囲網をかいくぐって女性たちは〈モーアシビ〉へ出かけています。その女性たちのなかでも注目を引くのが、古宇利島の女性たちです。彼女たちは海を越えて約四十km離れた伊是名島まで〈モーアシビ〉に遠征しています。単なる遊びとしては、遠距離すぎますし、危険すぎます。彼女たちを駆り立てた強力な吸引力がなにかあるはずです。それはなんでしょうか。

彼女たちは稲の収穫の時期に伊是名島に渡っています。ここらへんにヒントがありそうです。〈シマ社会〉において、稲や粟や麦などのいわゆる穀物は、単なる食物という以上に、新しい年の魂が込められた神聖な食物でした。その魂を食べることにより、身体は改まり、新しい年を迎えるわけです。その魂が稔り、収穫されるまでには、鳴り物を鳴らしたり、山の木を切ったり、川で魚を捕ったりすることが禁じられました。特に、女性が海で遊ぶことは厳しく禁じられていました。〈シマ〉は謹慎していたわけです。それは、これらの行為が“神迎え”の行為に通じるからです。神を迎え入れるのは、女性の役割でしたので、特に女性にはタブーが厳しく課せられたのです。女性の役割であるのは、女性も稲の穂と同じ様に新しい“命”を孕むからです。“穂”は“魂”でもあり、“命”でもあり、“神”でもあったわけです。

この謹慎期間が、稲の穂の孕む旧暦の四月から五月までの二ヶ月間にわたって、続けられました。収穫の時期は、新しい“命”の誕生であるとともに謹慎のハレた感情の高まりの時期でもありました。

古宇利島では稲作はなく、粟作が行なわれていますが、そのために米が欲しくて伊是名に渡ったというのは、動機としては弱いような気がします。農耕文化の歴史では、粟作は稲作の歴史に先行しますので、粟作の方に宗教的な始源があったと考えた方がいいと思います。つまり、米の欠如のために伊是名に渡ったというよりは、伊是名での収穫儀礼では、古宇利島の女性たちでなければ果たせない役割があったものと理解した方がいいような気がします。

伊是名村史によりますと、彼女たちは夏の刈り入時に、友だちどうしで連れ立ってやってきて、豆腐を作って売ったり、歌い踊りながら家々を巡り、夜は島の若者と〈モーアシビ〉に興じたりして、稲束をもらって帰ったということです。

伊是名島では様々な場所で〈モーアシビ〉が行なわれていますが、「ボージ遊び」といって、山の中腹の「ボージ」という場所で行なわれる遊びもありました。そこに若者たちが何日も山篭りして遊んだのです。古代の日本および沖縄では、山に篭るということは、人が神に変身するという宗教的な儀式でした。「ボージ遊び」もその延長上に考えることができます。

古宇利島には、アダムとイブの神話に似たような伝承があります。古宇利島に男の子と女の子と二人だけが住んで居て、裸で暮らしていました。空腹になると空から餅が降ってきました。二人はあるときふっと餅を貯めることを思い付きました。そのときから餅は空から降らなくなってしまいました。二人がびっくりして天に祈っても再び餅が降ることはありませんでした。それから二人は食べ物を得るために働かなくてはならなくなりました。あるとき二人は海でジュゴンが交尾しているのを見て、セックスを知りました。同時に裸であることに恥ずかしくなりました。この二人から古宇利島の人間は生まれ、沖縄中に人間が増えていったという神話です。

古宇利島では七月に「ウンジャミ」という海山の豊漁豊作を祈る祭りを行ないますが、そのときに、この神話を演じます。弓の先に括りつけられた餅を神が突き落とします。その後に男と女の神は舟を漕ぐ動作を繰り返し、抱き合ったまま小屋に入ります。その後に餅が配られます。

この儀式は神話を再現しますが、それとともに古宇利島の娘たちが「ボージ遊び」で行なった遊びとの相似形であることも指摘できます。舟を漕ぐ演技は娘たちが伊是名島へ渡ったことを意味します。小屋に入る儀式を「ボージ遊び」の山篭りに置き換えることができます。稲束をもらうことを餅をもらうことと解釈すると、この儀式は、娘たちが伊是名島で行なった〈モーアシビ〉とパターンがいっしょになります。つまり、〈モーアシビ〉は穀物の実りを招来する農耕儀礼と密接な結び付きを持っているという指摘もできるのかと思われます。
『OKINAWA JOHO』1997年8月号

モーアシビ4 (沖縄情報1997年8月号掲載)
古宇利島のウンジャミ(1991年、具志堅邦子氏撮影)。神人(かみんちゅ)たちは弓の先に括りつけられた餅を突き落とす。
楽園追放神話の再現だ。
この餅と古宇利島の娘たちが伊是名島のモーアシビで得た稲束とは、神話的には同じ構造を持つものだろう。
古宇利島にとって伊是名は他界=異界であり、伊是名島にとって古宇利島の娘たちは、異界からの豊饒をもたらす女神の存在だったのだ。



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