モーアシビ5 (沖縄情報1997年9月号掲載)

モーアシビ5

五月号から続いてきたモーアシビも、今回でとりあえず終ります。前回までは青年たちがモーアシビをする前段階までの場や空間、シマ社会という共同幻想について語ってみました。今回は具体的にモーアシビの現場に踏み込んでみます。

年齢
まずは、年齢です。地域により若干の差はありますが、モーアシビに参加した年齢層はおおよそ十五、六歳から結婚するまでだったようです。結婚はだいたい二十歳前後で行なわれましたので、そのあたりが上限の年齢でした。男性は結婚しても二十五歳くらいまでは参加したようです。参加できても、二十歳を過ぎると「年寄りが来た」などとからかわれることもありました。今の高校生から大学生くらいまでの年齢が、モーアシビの年齢層にあたります。この年齢になると家で寝ることもなく、あちらこちらと泊り歩くようになります。「若者はとにかく家では寝ない」と周囲もあきらめていたようです。

約束
モーアシビはまず、落ち合う場所の約束から始まりました。昼間、畑などですれちがうときに、こっそりとモーアシビの約束をしたようです。女の方が指輪や簪(かんざし)を男に渡すと、それが確かな約束になりました。また、モーアシビが終る頃に男女が指輪や簪などを交換して、次に会う日と場所を約束してから別れるという方法もあったようです。

モーアシビの時間帯
モーアシビの時間は、これも地域や季節による若干の変動はあるのですが、おおよそは、夕食後の七、八時頃から始まり、夜中の一時二時頃まで続いたようです。夏の月夜は明け方まで踊り明かすことも度々あったようです。ほとんど徹夜状態のまま、ヤガマヤーなどで仮眠して、昼間は元気に畑仕事をこなしたようです。早目に終った場合でも、モーアシビが終った後にカップルで過ごす時間も長かったようですので、やはり、ほとんど仮眠程度の睡眠時間だっただろうと推測されます。

モーアシビへ
モーアシビの場所で落ち合っても、すぐ歌と踊りが始まるというわけではなく、結婚式などの祝いの席で初めに「御前風(ぐじんふう)」といわれる、荘重に踊る「かぎやで風(かじゃでぃふう)」の踊りで幕を開けるように、モーアシビにも「座開き(ざびらき)」の踊りがあったようです。中部の宜野湾方面では、「野御前風(もーぐじんふう)」といわれる「舞方(めーかた)」という、空手の型で激しく踊る空手舞踊が「座開き」の踊りでした。これは、空手で辺りの邪気を祓い、場を清めるという意味があったと思われます。それが済んでから男女入り乱れての踊りになるわけです。

ところが、他のシマ(=村・字)と遊ぶときには、喧嘩になることも時々はあったようです。「舞方」の踊りがすんでも、踊り手が退場せずに中央に立ち続けるか、地面を足でどんどん踏むと、相手のシマに闘いを挑むことを意味していました。これを「倒せー(とーせー)」といいます。「倒せー」を仕掛けられると、挑まれた村は逃げるわけにはいかなかったので、次々と空手や相撲で挑戦することになります。それが力比べに終らないで、喧嘩になってしまうことも時にはあったようです。

歌の掛け合い
モーアシビの場で歌われる歌は、現在のように聞き手と歌い手がいて、一方的に歌ったり、聞いたりするというようなものではなく、男女の掛け合いで歌われました。掛け合いというのは、現在のギャグのようなものです。一方がつっこむと一方がとぼける。相手の歌を受けながら、はぐらかしたり、からかったりしながら、オチをさぐっていくのです。これを漫才のようにペアとか同性の集団ではなく、男女の集団に分かれて歌で掛け合うわけです。会話のように歌を掛け合いながら、どんどん盛り上がっていくわけです。

囃子
ですから、モーアシビでは囃子が重要でした。囃子は歌の添え物的な存在ではなく、歌い手をはやしたて、駆り立てるものでした。囃子がなければ歌が成立しなかったのです。男たちが歌えば女たちは囃子で返し、女たちが歌えば男たちは囃子で返す、というふう歌の掛け合いは続けられました。その中でひそかに自分のパートナーを選んでいったのです。

別れ遊び
モーアシビで恋人になって、結婚することになったら、結婚式の前の夜に遊び仲間が集まって、二人を囲んで、最後のモーアシビを明け方まで続けたそうです。これを「別れ遊び(わかりあしび)」といいます。思う存分モーアシビを遊んで夜が明けると、二人は泣きながら仲間に別れを告げました。

この「別れ遊び」という言葉は、モーアシビの場だけではなく、豊年祭の場でも、エイサーの場でも、そして死者を送るという場でも用いられています。「遊び」という言葉は、古代の日本や沖縄では、魂を奮い起こすための舞踊を意味していました。モーアシビ、豊年祭、エイサー、葬送という行為は、いずれも霊魂を呼び寄せるという儀礼を意味していました。霊魂を呼び寄せるということは、霊魂と場を共有し、一体化するということです。一体化することなく霊魂を呼び寄せることはできないのです。それと別れるということは、霊魂を「他界」に送るということです。モーアシビの場合は、「他界」へ送るのではなく、シマ社会の大人の中へ送り出すことでした。

いずれも、青年たちにとっては、同じことを意味していました。青年たちは「境界」という特殊な場を共有していました。その「境界」から出ることは、彼らにとっては「他界」へ霊魂を送り出すのに等しい距離感があったのです。

「境界」に棲んでいた青年たちは、霊魂を「他界」に送り帰すとともに、仲間を人間世界に送り出すという「別れ」も演じました。これが青年たちの通過儀礼でした。

『OKINAWA JOHO』1997年9月号

モーアシビ5 (沖縄情報1997年9月号掲載)
モーアシビ5 (沖縄情報1997年9月号掲載)
八重山の青年男女による歌舞集団『ゆらてぃく組』の舞台(1989年3月14日、津野愛氏撮影)。八重山の高校を卒業してきたばかりの彼らは、現役世代(18、19歳)によるモーアシビを実演することができた。古老たちによる伝説のモーアシビは、彼らによって那覇の舞台で再現された。


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