今泊エイサーの歌詞

今年もエイサーシーズンに入ったので、八重山古謡の私訳は少しのあいだ休んで、エイサーの歌詞を味わってみたい。

今回味わいたいのは、今帰仁村今泊のエイサーだ。

今泊のエイサーは現在の中南部で盛んに演じられるエイサーのように、大太鼓や締め太鼓、パーランクーがメインを占めるエイサーではなく、太鼓が伴奏楽器としての位置を占める手踊り型のエイサーだ。

手踊り型エイサーのテンポは太鼓型よりもかなり早く、およそ20曲くらいの歌を15分くらいで踊ってしまう。踊り手は歌に習熟しており、地謡の歌に長い囃子を返す。踊りはひとり一人の個性が際立つエイサーだ。おそらく太鼓型エイサーよりもモーアシビの面影を残しているエイサーだといえる。

今泊のエイサーで感じるのは、ひとり一人の踊り手が支配している空間の広さだ。
歌のテンポは早いのだが、ゆったりと大きく踊るエイサーだ。

エイサーの最後に踊られるユニゲー(世願い)を初めて見たとき、鳥肌が立つような思いがした。
縦列に並んだ青年たちが大きくゆったりとした所作で祈りを捧げているのだが、この青年たちの踊りをリードしていたのが、演台の上で一人で踊る知的障碍者だったのだ。
青年たちは、彼を神に近い者として、神をシマ(集落)に招き下ろす役割を与えていたのだ。
このような構成を持つために、ユニゲーは神話的時空にぼくたちを招き入れるものとなった。

今泊エイサーの歌詞テキストは、小林公江・小林幸男 1997 「今帰仁エイサーの音楽―崎山・兼次・今泊の資料化を通して」『沖縄芸術の科学』第9 号(沖縄県立芸術大学附属研究所)による。
両小林氏による歌詞資料は、緻密な考察による翻訳が加えられた第一級資料であった。
特に加筆の必要もないのだが、自己流の語りに近づけるため、若干の私訳(具志堅要訳)を入れた。
歌詞は原テキストの漢字にフリガナが振られている場合にはフリガナの表記を使用した。
*印の行の訳は原典によるもの。

なお原テキストによる凡例は次の通りである。
歌詞について
・歌詞資料は、実況録音や字の保存用演唱録音を基に小林公江が作成したが、古老の話や各字の資料(今泊青年団協議会『七月エイサー』、兼次青年会の刷り物、『崎山誌』)も参考にした。
・共通語訳(*印の行)は、地元の方の話を参考に、小林幸男が作成した。殆ど歌詞内容が同じ場合は、先に載せたものの訳で代表させ、以後は省略した。
・囃し詞は片仮名で、歌詞の本体に当たる部分は平仮名で表記した。
・<>は、踊り手の演唱を示した。
・[ ] は、直前の歌詞あるいは囃し詞の、別の表現を示した。
・{ } は、音数を整えるために反復した語句を示した。
・※ は、歌詞以外のコメントを示した。

今回紹介するのは、今泊エイサー20曲のうち、最初の3曲。
今泊エイサーの歌詞


今泊エイサーの歌詞

みぐりばにんごう <でぃちゃでぃちゃどぅしび>
*巡れば(焼酎を)二合(ずつ項裁できるぞ)、<いざいざ仲間達>
〔家を〕廻れば〔お酒を〕二合〔ずついただけるぞ〕、<さあさあ仲間たち>
「どぅしび」の接尾語の「ビー」は名詞に付いて複数をあらわす今帰仁方言。

ヤーミグイ(家廻り)の歌。南部に残されていた古形のエイサーでは、二人で担いだ酒甕にお酒を乞う儀礼があったとされる。
野原廣亀「南風原町喜屋武のクーヤーについて」
字喜屋武では、旧暦7月16日のウークイ(祖霊送り)を済ませての真夜中(17日の午前2時頃)から、村中の成人男性が集団で、全戸を訪問して念仏歌を歌ったり、座興歌を歌い踊ったりした。その際にお酒を乞い、二人で担いだ酒瓶(カメ)に志のお酒を入れてもらった。この行事を俗に「乞うやー(クーヤー)」と言った。
位牌のある家では、念仏歌を歌い、位牌のない家では、カチャーシーで舞い遊んだ。終了後は村屋(ムラヤー/公民館)で賑やかに舞い遊んだ。(『エイサーフォーラム』プログラム,1996年.)


1. みなよみなよふとぅき 
   <エイサー サーエイサー イヤウリサーサー スリサーサー イヤササ>
    しちぐゎちになりば みちゃぶとぅきんかざてぃ 
   <エイサー サーエイサー イヤウリサーサー スリサーサー イヤササ>
*弥陀よ弥陀仏。孟蘭盆になったので、土の仏を飾って
弥陀よ弥陀よ仏よ、七月になれば土の仏を飾って

長い念仏歌の最初の部分だけを歌ったもの。この一節を入れることによって、長大な念仏歌を唱える代りにした。

2. くまぬはんしーめーや うちむ[ぬ]ゆたさぬ   
   <かみてぃみぐやびら>
   サプエイ[サプエン] サプエイ[サプエン] サーサプエイ[サプエン] 
   <ピーラルラー ラーラルラー ニンゴウドーヤニンゴウドーヤ 
   サキニンゴウ イッシュニンゴウチェチェ>
  いちごうがうたびみせーら にんごうがうたびみせーら 
   <かみてぃみぐやびら>
   サプエイ[サプエン] サプエイ[サプエン] サーサプエイ[サプエン] 
   <ピーラルラー ラーラルラー ニンゴウドーヤニンゴウドーヤ 
   サキニンゴウ イッシュニンゴウチェチェ>
*ここのお婆様はお心が宜しい。<押シ戴イテ廻リマショウ。ピーラルラーラーラルラー(笛か哨吶の音)。二合ダヨ、二合ダヨ、焼酎二合、一升二合。>一合賜られますか、二合賜られますか。<以下同>
この家のお婆様は心が良い人で、<〔お酒を〕いただいて廻りましょう>
一合いただけるのかな、二合いただけるのかな <〔お酒を〕いただいて廻りましょう>

ヤーミグイのあいさつの歌。ハンシーは那覇士族の祖母、老女に用いたことば。このあいさつから、①エイサーの青年男女の訪問を受けるのはその家の主婦にあたる老女だったこと、②念仏歌を捧げるべき位牌は士族文化の受容であったことがわかる。パーパー、ハーメー(首里・那覇方言)などのように平民の祖母、老女に呼びかける言葉は使われていない。

(続く)


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