レヴィ=ストロースの見た『隅田川両岸一覧』

レヴィ=ストロースの見た『隅田川両岸一覧』
葛飾北斎画『隅田川両岸一覧』(1806年)より「元柳橋の子規/大橋の綱引き」(シカゴ美術館所蔵)

レヴィ=ストロースの見た『隅田川両岸一覧』
「元柳橋の子規」

クロード・レヴィ=ストロースは1986年に日本を訪れ、和船で隅田川を遡行している。浮世絵に造詣の深かったレヴィ=ストロースは、浮世絵と現実とのギャップに衝撃を受けていた。

一九八六年には、川田教授は外人訪問者のほとんど知らない東京の一面を見せて下さいました。昔ながらの和船で、隅田川を遡り、さらにこの川の西でも東でも東京の街を縫って流れている運河をめぐったのです。(…)
日本での人間の自然に対する関係について、日本へ行く前に考えていたとき、私はやや理想化しすぎていたと思うのですが、(…)日本を旅行していて、(…)自然美への崇敬がある一方で、自然環境と折り合いをつけるときには極めて粗暴な手法が用いられることもあると知ったからです。北斎の美しい画集『隅田川両岸一覧』によって隅田川を心に描き続けていた私にとっては、先に触れたこの川の遡行は衝撃でした。古い版画を通してパリを知っている外国からの訪問者も、今のセーヌ川の両岸を見て、同様の反応を示すでしょう。ただ、パリでは版画からの想像と現実とのへだたりはおそらくより小さく、過去から現在への移り変わりも隅田川ほど激しくはないと思います。
(『悲しき熱帯Ⅰ』「中公クラシックス」版のためのメッセージ)

風景の変化は、ヨーロッパに比べると日本が急激すぎると、レヴィ=ストロースは悲嘆しているのだ。日本の近代はあまりにも粗暴な手法で自然環境を変えてきた。そのギャップは日本にいるボクたち以上に、激しく受け止められるものだった。

レヴィ=ストロースはどこかで語っている。印象派の画家だった父は、少年レヴィ=ストロースの学業成績が良いと、浮世絵のコレクションから一枚ずつをプレゼントしたのだと。そしてレヴィ=ストロースはお小遣いで浮世絵を買うコレクターになった。

驚くことではない。浮世絵は少年(もちろんブルジョワ家庭だが)の小遣いで買い求めることのできるほどの安価な美術品だったのだ。安価でありながらなおかつ精緻である。そしてなにより印象派に大きな衝撃と刺激を与えた美術品だったのだ。

ボクたちもレヴィ=ストロースにならって隅田川の風景を眺めよう。それは失われた過去であるが、取り戻すことのできる未来なのかもしれない。

沖縄もそうだ。戦前の沖縄の美しい風景は、取り戻すことのできないほど、徹底的な破壊を受けた。米軍による基地建設と日本の大企業によるリゾート開発によってだ。

それがどれほど気の遠くなるような作業であろうと、取り戻すために、ボクたちは固いセメントやアスファルトの下に眠る小石を、一つずつ探し出していかなければならないだろう。

そのように懐かしい未来に触れることができたとき、ボクたちは自分たちの印象派の画家を持つことになるだろう。



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