プッサンによる死のイメージの変換――『我アルカディアにもあり』

レヴィ=ストロースは、プッサンの描く風景には、つねに超自然的なものが闖入(ちんにゅう)していると指摘した。

この超自然的なものの闖入は、指摘されるまでは見過ごされてしまうたぐいのものだ。ところが、ひとたびその闖入に気づくと、超自然的なものと共生するといった見え方によって、世界が視えてしまうことになる。

かつてレヴィ=ストロースは、「ひとたびシンボルによる思考が与えられたのなら、(中略)この瞬間からは、自然主義に対する如何なる譲歩も危険なものとなる」(レヴィ=ストロース『構造人類学』)と宣言した。

絵画においてもレヴィ=ストロースは、「シンボルによる思考」を駆使して解釈する。プッサンが風景のなかに、どのようにして超自然的なものを闖入させたのかを、『アルカディアの牧夫たち(我アルカディアにもあり)』という絵画を例にして語るのである。

アルカディアというのは、ギリシャのペロポネソス半島中央部にある古代からの地域名で、後世に牧人の楽園として伝承され、理想郷の代名詞となったものだ。絵のなかに石棺が描かれており、石棺には「Et in Arcadia ego(我アルカディアにもあり)」というラテン語が刻まれている。

このタイトルの絵をプッサンは二度描いているが、そのもとになったのは、同時代のイタリアの画家ゲルチーノの作品だとされる。

プッサンによる死のイメージの変換――『我アルカディアにもあり』
ゲルチーノ作《アルカディアの牧夫たち(我アルカディアにもあり)》1621-23年

石棺の上には頭蓋骨が置かれている。つまり理想郷にも死はあるという寓意が描かれている。プッサンの同タイトルの絵では、石棺のうえの頭蓋骨は気づかないほど小さな存在になり、誰もそれに目をとめていない。しかし、死を語る主体は同じように頭蓋骨である。

プッサンによる死のイメージの変換――『我アルカディアにもあり』
プッサン作《アルカディアの牧夫たち(我アルカディアにもあり)》1629-30年

プッサンがこの主題で描いた最初の作品、それはたぶん1629-30年頃のことだが、それは直接にゲルチーノの作品に想を得ている。そして石棺に刻まれた例の銘文は、上述した以外の意味をもつことはできない。プッサンのこの作品では、石棺の上に置かれた頭蓋骨は小さくて、ほとんど見えないほどであるが、この文句を語っているのはここでも頭蓋骨(あるいは死のシンボルである石棺)だ。
(レヴィ=ストロース『みる きく よむ』)

ゲルチーノの頭蓋骨の位置にはプッサン初版では老人が描かれている。そして若い女性の姿が加えられている。老人と女性の神話的位置づけは次のようなものだ。

ゲルチーノの頭蓋骨に取って代わるこの老人は、アルフェオス川を表現するもので、この川はアルカディアに源を発する。伝説によれば、彼は海を渡ってシチリアでニンフのアレトゥーサを捉えようとするのだが、ニンフは泉に姿を変えてアルフェオスの手を逃れる。(同前)

頭蓋骨によって表現される死は、若さを獲得することのできない老いとして表現される。それとともに、死は神話的意味づけを獲得する。

プッサンの第二版では、ゲルチーノの頭蓋骨、初版の老人の位置に、古代風の衣装をまとった女性が描かれる。

プッサンによる死のイメージの変換――『我アルカディアにもあり』
プッサン作《アルカディアの牧夫たち(我アルカディアにもあり)》1637-39年

この女性は、初版での若さの象徴であった女性が死の象徴へと変身したものだ。

この新しく描かれる、動きのほとんど感じられない女性像(その点で左側の三人の牧夫たちと好対照をなしている)は、〈死〉を、少なくとも〈死の宿命〉を象徴していると考えるべきではないだろうか。いかにも好意的な彼女の外観は、「アルカディアにおいてさえ」、有無を言わせぬ力をもってすべての人間の運命を支配しようとする彼女にはまことに似つかわしい。初版に描かれる女性像〔女羊飼い〕は、目立たない位置に置かれているのだが、そして羊飼いたちの優美な仲間という趣きなのだが、第二版の女性は神話的人物のもつ偉大さと非情さを示している。彼女こそが、威圧的な高貴さをもって、墓標の石に刻まれた銘文、彼女がいままさに牧夫たちに読むように誘っているその言葉を、秘めやかに表明しているということなのであろう。「アルカディアにおいてさえ」と、彼女は自分自身の姿をその場に現すことだけでその真実を彼らに理解させようとしているのだ、「私はここにいる、お前たちのすぐ傍らに」。(同前)

初版に描かれる女性は若さを象徴するものであり、「羊飼いたちの優美な仲間」として描かれたのだが、「第二版の女性は神話的人物のもつ偉大さと非情さ」を示すことになる。彼女によって死は、頭蓋骨や老いとして表されるものではなく、人間たちに、神話的「偉大さと非情さ」を表わすものとして登場することになる。

シンボルの置き換えをおこなうプッサンの作業により、死は頭蓋骨や老いた肉体で表わされる自然主義的なものではなく、異界=他界から来訪した神話的存在に変身を遂げる。

近代社会は死を封印して成立したとされる。日常生活から死が除外されて社会が形成されるのだ。それに反して中世社会では、死を思えという臨場感によって社会が成立していた。そのため死の恐怖が強調された。プッサンはそのいずれにも属しない。死を偉大で高貴な人物として擬人化し、アルカディアという人間の理想的な社会のなかに位置づけたのだ。

このタブローの力強い魅力は、三人の牧夫の傍らに立つ神秘的なこの女性が他の世界からやってきたのであり、田園風の舞台に超自然的なものの闖入を表現しているというところに起因する。他の風景のなかにも、異なった手法ではあるが、プッサンはつねに超自然的なるものの闖入を刻印し続けた画家であった。(同前)



同じカテゴリー(レヴィ=ストロース)の記事