15世紀からはじまる初期フランドル派の絵画の歴史は、ピーテル・ブリューゲル(1525/30-1569)で幕を閉じる。ブリューゲル以降の17世紀に、フランドル地方にはルーベンス(1577-1640)、スペインにはディエゴ・ベラスケス(1599-1660)が、オランダにはレンブラント(1606-1669)などの巨匠が登場することになるが、彼らには初期フランドル派のような神話的思考が失われていた。
17世紀に西洋社会の思考法が変わり、神話的思考が影を潜めていくとレヴィ=ストロースは指摘している。
神話のモデルによって作られていた「物語」に代わる最初の「小説」が登場したのは、神話的思考が――消滅したとは申しませんが――ルネサンスと十七世紀の西洋的思考法の背後にかくれたころのことでした。
クロード・レヴィ=ストロース(大橋保夫訳)『神話と意味』
神話的思考が影を潜めることにより、初期フランドル派と17世紀の西洋絵画とのあいだに、ミッシングリンク(失われた環/鎖)が横たわることになる。
そのミッシングリンクにあたる画家がニコラ・プッサン(1594-1665)であることを示したのは、レヴィ=ストロースだった。レヴィ=ストロースはプッサンを初期フランドル派に結びつけ、19世紀の市民社会を描いた画家ドミニク・アングル(1780-1867)に結びつけ、さらには日本の浮世絵にも結びつけた。
初期フランドル派、プッサン、アングル、そして浮世絵をつなぐ共通項とはなんだったのだろうか。レヴィ=ストロースによると、それはデッサンの修練を積み、もはやモデルを見ることなく自在にモデルを再現でき、それらのモデルを用いて、「さらに高次の二次的構成」をすることのできるという画家の能力だった。
レヴィ=ストロースは幕末から明治初期にかけて活躍した浮世絵師・河鍋狂斎の言葉を紹介し、モデルにポーズをとらせて制作する近代絵画の技法と浮世絵師の技法とのちがいを指摘する。
河鍋狂斎(1831-89)は、「浮世絵」の最後期の巨匠の一人だ。(中略)注目すべきは、1887年にあるイギリス人画家が狂斎と対談し、そのイギリス人画家が報告した対談の内容だろう。狂斎は、西洋の画家がモデルにポーズをとらせるのが理解できないと言う。もしモデルが小鳥ならば、あちこち動き回って、ポーズをとらせるどころではない。私なら日がな一日小鳥を見ている、と狂斎は言う。ある瞬間にふと、描きたいと思っていた姿が見える。彼は小鳥から目を離し、画帖に――その数は何百冊にものぼるのだが――、わずか三本か四本の描線で記憶に残るその姿をスケッチする。最終的には、その姿をはっきりと記憶から取り出すことができるようになり、もはや小鳥を見なくてもその姿を再現できる。一生涯このような鍛錬をしたおかげで、と彼は言う。生き生きとした精確な記憶を獲得して、目にしたものはなんでも思い描くことができるようになった。なぜなら、彼が写し取るのはいまこの瞬間に目の前にいるモデルではなく、彼の精神が蓄積した多くのイメージであるからだ。
クロード・レヴィ=ストロース(竹内信夫訳)『みる きく よむ』
河鍋狂斎の絵日記で烏を描いたもの。「もはや小鳥を見なくてもその姿を再現できる」と述べた理由がよくわかる。動かない(死んだ)烏をモデルにしていないのだ。
同様のことをプッサンも述べる。「苦労して事物を写し取る」のではなく、「事物をよく見ることによって腕を上げる」のだと。アングルも「画家はモデルを頭のなかに住まわせなければならない」と主張する。
狂斎の教訓はアングルがプッサンから学び取ったそれに似ている――「画家は事物をよく見ることによって腕を上げるのであって、苦労して事物を写し取ることによってではない、とプッサンは口癖のように言っていた」。「そのとおりだ、だがそのためには、画家は目を持たなければならない」。アングルはさらに続ける、画家はモデルを頭のなかに住まわせなければならない。モデルを自家薬籠中のものとして頭に嵌めこまなければならない。さらに、「自然をしっかりと記憶に収め、それがおのずから画布の上に出てくるようにしなければならない」、と。まるで狂斎の言葉を聞くようではないか……。(同前)
アングルは「モデルはしばしば平凡であるか欠点だらけ」だと嘆いた。その嘆きが聞こえてくるようなデッサンがある。《ベルタン夫人》(1834年)だ。
19世紀のフランスはブルジョワ(市民)が支配する国になっていた。そこに描かれているのは、アングルが「頭のなかに住まわせ」ていたブルジョワジーの姿だ。狂斎が何百回にもわたって小鳥を描き、「その姿をはっきりと記憶から取り出すことができるように」なったのと同じように、「おのずから画布の上に出てくるよう」なブルジョワジーの姿だった。
私は狂斎とアングルの類似性を強弁するつもりはない。(中略)しかし、狂斎とほとんど同じ言葉で、アングルが、「いつもポケットに手帳を忍ばせておき、君の注意を惹くものがあれば、それを完全に写しとる時間がなくても、鉛筆を四回ほどふるってそれを描きとめておきたまえ」と語ったというのも事実だ。(中略)この親近性のなかに、北方絵画(ファン・アイク、ファン・デル・ウェイデン)、プッサン、アングル、そして日本の木版画芸術を、ひとつの共通の崇拝のなかに結びつけて考える私の個人的な好みの理由が、そして願わくば正当化が、あると私は考えている。(同前)
レヴィ=ストロースが述べる北方絵画(初期フランドル派)、プッサン、アングル、そして浮世絵との共通項は、神話的思考をさすのだとみてよいだろう。この共通項が正当化されるのならば、近代社会と神話的思考を隔てていたミッシングリンクは、つながることになるだろう。