——無縁の縁(えにし)を紡ぐ——
プッサンの作品のいくつかはすばらしいものであるが、ひとつの絶妙のジャンル、「エリエゼルとリベカ」において、その頂点を極める。描かれる人物像のひとつひとつが一個の傑作である。さらに群像のひとつひとつがまた別の傑作である。さらにまた、作品の全体が。つまり、三つの構成レベルがあり、それらが互いに入れ子構造になっているばかりか、それぞれのレベルにおいて同じ完成度に達しているのである。その結果、作品全体の美しさは異様なまでの密度を見せている。
(レヴィ=ストロース『みる きく よむ』)
〔この作品で〕まず目を惹くのは、前掲の中央に描かれた二人の主人公である。しかし、彼らははっきりと右方にずらされて配置されているので、われわれの視線はすぐに左側に描かれた群像、ざわめきたつ一群の女たちのほうに向かう。この女たちの動きは、まず、その背後に描かれる建物群がつくる不動のマッスと対照をなし、さらに、画面右側に位置する三人の女のやはり不動の張りつめた群像とは対照をなしている。全体的に見れば、この作品は、安定と不安定、動と不動の対立で構成されているのである。(同前)
リベカの婚姻の問題……は、〈旧制度〉の立法家たちが「種族」と呼んだものと「大地」と呼んだものとのあいだのある矛盾に起因していた。〈全知全能の神〉の命じるところに従って、アブラハムと彼の一族はメソポタミアのシリアにあった彼らの故郷を捨てて、そこから遠く離れた西方の地に移り住む。しかしながら、アブラハムはその地の先住の民との結婚を忌避する。息子イサクが同じ血筋の娘と結婚することを彼は望むのである。だが、イサクも彼自身も、〈約束の地〉から離れることを禁じられていたので、アブラハムは自分の代わりに信頼できる従僕エリエゼルを遠くの親族のもとに送り、そこからリベカを迎えようと考える。(同前)
それがプッサンの描く情景である。最前景に一人の男(すべての登場人物のなかでただ一人の男)、そしてその男と対面して一人の女。彼女は準備されようとしている婚姻を象徴している。他には、ただ女たち(「種族」)と、そして石(「大地」)とのみ。(同前)レヴィ=ストロースが注目するのは、右側の石柱と「不動の凍りついたような女たちの一群」だ。それは石柱に象徴される「大地」と、女性像に象徴される「種族」との合一を表現する。
画面右に描かれた不動の凍りついたような女たちの一群(中略)は、形態からだけでなく、その曖昧な色彩からしても……、いまなお人間であるところの女性像(それゆえ「種族」に属している)と人工の石柱(すでにしてそれは「大地」)との合一を実現している。(同前)
石柱の上には一個の球体が乗り、(中略)それはまた、頭の上に危うい均衡を保って水甕を載せ、すこしも動くことのできない〔左端の〕女の幾何学的――むしろ「キュビスト的」というべきか――な再現でもある。また、同じように頭に水甕を載せた姿で左方の群像の頂点に立つ(たぶん偶然ではなくリベカとそっくりな顔つきの)もう一人の女の、記念碑的とでもいうべき大きさに引き伸ばされた再現。(同前)左端の最初の女性は、おぼつかない足取りで水甕を頭上に載せている。二人目の女性はしっかりとまっすぐな姿勢で水甕を頭上に載せている。その延長上にある球形は、記念碑的な偉大さにまで変貌を遂げる。
こうしてみると、その女が(不安定な)頭に載せる水甕、彼女の下方の(安定した)地上に置かれた水甕(あるいはリベカの足元の水甕)、そして彫像のような女が肘を乗せる、画面の中ほどの高さにある水甕、この三者が形づくる三角形に注目しなければならない。(同前)
石作りの柱から、〔われわれの〕目はふたたび左に向かって移動する。そして、怪しげな雲行きの空(最初の不均衡がいまや遠くに放逐されたことを暗示する)の下の自然の景観を過ぎて、一群の堅固な建造物の上に今度は決定的に停止する。それは末永く住まわれることになった土地の象徴だ。こうしてイサクとリベカの結婚はその土地と種族の融合を成就せしめるものである。互いに似通った女たちの群れがその種族を象徴している。彼女たちは個別の女性というよりも、女性一般を、それによって血の連続性が継承されてゆく女性一般を、表象している。(同前)