プッサンによる知的なブリコラージュ――《エリエゼルとリベカ》

レヴィ=ストロースは、神話の論理を解き明かしていくように、プッサンの絵画を解き明かしていく。分析の俎上に載せるのは、《エリエゼルとリベカ》だ。

プッサンの作品のいくつかはすばらしいものであるが、ひとつの絶妙のジャンル、「エリエゼルとリベカ」において、その頂点を極める。描かれる人物像のひとつひとつが一個の傑作である。さらに群像のひとつひとつがまた別の傑作である。さらにまた、作品の全体が。つまり、三つの構成レベルがあり、それらが互いに入れ子構造になっているばかりか、それぞれのレベルにおいて同じ完成度に達しているのである。その結果、作品全体の美しさは異様なまでの密度を見せている。
(レヴィ=ストロース『みる きく よむ』)

プッサンによる知的なブリコラージュ――《エリエゼルとリベカ》
ニコラ・プッサン作《エリエゼルとリベカ》1648年、ルーブル美術館

画面前景には14人の人物像が描かれているが、その「ひとつひとつが一個の傑作である」とレヴィ=ストロースは述べる。これらの人物像は、知的なブリコラージュ(器用仕事)をするための道具であり材料ということになる。

その人物像を組み合わせて、左側に9人、右側に5人の人物群像が配置される。これらの群像は、「ひとつひとつがまた別の傑作」を形成しており、見る者を神話の世界へ誘っていく。この三つの群像が有機的に組み合わされるとき、「作品全体の美しさは異様なまでの密度を見せ」ることになる。

レヴィ=ストロースはこの作品が、「安定と不安定、動と不動の対立で構成されている」ことを指摘する。

〔この作品で〕まず目を惹くのは、前掲の中央に描かれた二人の主人公である。しかし、彼らははっきりと右方にずらされて配置されているので、われわれの視線はすぐに左側に描かれた群像、ざわめきたつ一群の女たちのほうに向かう。この女たちの動きは、まず、その背後に描かれる建物群がつくる不動のマッスと対照をなし、さらに、画面右側に位置する三人の女のやはり不動の張りつめた群像とは対照をなしている。全体的に見れば、この作品は、安定と不安定、動と不動の対立で構成されているのである。(同前)

左側の「ざわめきたつ一群の女たち」は、背後の建物群に対しては動・不動の対立を表現し、「画面右側に位置する三人の女」のかもしだす安定に対して、不安定の要素を表現するものとなっている。この「安定と不安定、動と不動の対立」は何に起因するものだろうか。レヴィ=ストロースはそれを、「〔ユダヤ人という〕種族」と「〔約束の地という〕大地」とのあいだにある矛盾に起因するものだと指摘する。

作品のテーマは、旧約聖書の『創世記』第24章に基づくものだ。レヴィ=ストロースはその内容をかいつまんで説明する。

リベカの婚姻の問題……は、〈旧制度〉の立法家たちが「種族」と呼んだものと「大地」と呼んだものとのあいだのある矛盾に起因していた。〈全知全能の神〉の命じるところに従って、アブラハムと彼の一族はメソポタミアのシリアにあった彼らの故郷を捨てて、そこから遠く離れた西方の地に移り住む。しかしながら、アブラハムはその地の先住の民との結婚を忌避する。息子イサクが同じ血筋の娘と結婚することを彼は望むのである。だが、イサクも彼自身も、〈約束の地〉から離れることを禁じられていたので、アブラハムは自分の代わりに信頼できる従僕エリエゼルを遠くの親族のもとに送り、そこからリベカを迎えようと考える。(同前)

アブラハムは現在のイラク南部にあった故郷を捨てて、遠く離れた西方の地・パレスチナに移住する。アブラハムは息子イサクをパレスチナの先住の民と結婚させることを忌避し、故郷から息子の嫁を迎えようとする。プッサンの作品は、種族を維持するために見知らぬ移住先に嫁ぐという、リベカの立場を描いたものだ。

この作品は、――最前景の一人の男を除いて――女たちと石で構成されているとレヴィ=ストロースはいう。女たちは「種族」を象徴し、石は「大地」を象徴すると。

それがプッサンの描く情景である。最前景に一人の男(すべての登場人物のなかでただ一人の男)、そしてその男と対面して一人の女。彼女は準備されようとしている婚姻を象徴している。他には、ただ女たち(「種族」)と、そして石(「大地」)とのみ。(同前)

レヴィ=ストロースが注目するのは、右側の石柱と「不動の凍りついたような女たちの一群」だ。それは石柱に象徴される「大地」と、女性像に象徴される「種族」との合一を表現する。

画面右に描かれた不動の凍りついたような女たちの一群(中略)は、形態からだけでなく、その曖昧な色彩からしても……、いまなお人間であるところの女性像(それゆえ「種族」に属している)と人工の石柱(すでにしてそれは「大地」)との合一を実現している。(同前)

石柱の上には球体が乗っている。レヴィ=ストロースによるとその球体は、左側の女性二人の、頭に載せた不安定な水甕の延長上に位置するものだ。

石柱の上には一個の球体が乗り、(中略)それはまた、頭の上に危うい均衡を保って水甕を載せ、すこしも動くことのできない〔左端の〕女の幾何学的――むしろ「キュビスト的」というべきか――な再現でもある。また、同じように頭に水甕を載せた姿で左方の群像の頂点に立つ(たぶん偶然ではなくリベカとそっくりな顔つきの)もう一人の女の、記念碑的とでもいうべき大きさに引き伸ばされた再現。(同前)

左端の最初の女性は、おぼつかない足取りで水甕を頭上に載せている。二人目の女性はしっかりとまっすぐな姿勢で水甕を頭上に載せている。その延長上にある球形は、記念碑的な偉大さにまで変貌を遂げる。

さらにレヴィ=ストロースは、水甕が形づくる二つの三角形の存在を指摘する。一つ目は、①「左方の群像の頂点に立つ」女の頭上の水甕→②その足元の水甕→③右側の女が肘を乗せる水甕、二つ目は、①→②リベカの足元の水甕→③だ。いずれの三角形も、①不安定→②安定→③石柱との合一を形成する。

こうしてみると、その女が(不安定な)頭に載せる水甕、彼女の下方の(安定した)地上に置かれた水甕(あるいはリベカの足元の水甕)、そして彫像のような女が肘を乗せる、画面の中ほどの高さにある水甕、この三者が形づくる三角形に注目しなければならない。(同前)

左側の頭上の水甕から球体までの視線の移動、そして二つの三角形が形づくる安定によって、異郷の地に嫁ぐリベカの不安感、異郷の地で種族を形成しようとするアブラハムの不安定な位置づけは、「約束の地」での「種族の繁栄」という安定に変換されていくのである。

石作りの柱から、〔われわれの〕目はふたたび左に向かって移動する。そして、怪しげな雲行きの空(最初の不均衡がいまや遠くに放逐されたことを暗示する)の下の自然の景観を過ぎて、一群の堅固な建造物の上に今度は決定的に停止する。それは末永く住まわれることになった土地の象徴だ。こうしてイサクとリベカの結婚はその土地と種族の融合を成就せしめるものである。互いに似通った女たちの群れがその種族を象徴している。彼女たちは個別の女性というよりも、女性一般を、それによって血の連続性が継承されてゆく女性一般を、表象している。(同前)



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