ハンス・ホルバイン(1497/98 - 1543)は、「死」の側から人間たちの世界を描くことのできる画家だった。代表作とされる《墓の中の死せるキリスト》で描かれているのは、死後三日たったイエスの亡骸だ。亡骸の腐敗と衰退を、ホルバインは写実的に克明に描写している。
ハンス・ホルバイン作《墓の中の死せるキリスト》(1521-22年頃)バーゼル美術館
ホルバインがこの絵を制作した1521年に、ルターはカトリック教会から破門され、ルター支持派とカトリック教会との分裂が決定的なものになっている。そのような教会の大分裂の時代に、ホルバインは教会を挑発するような絵を描いた。
キリストの復活は、キリスト教における最も基本的な宣教の内容を形成しており、キリスト教神学の中心的位置を占めている。そのキリストの肉体的な復活を疑わせるような絵を、ホルバインは描いたのだ。
死についてのホルバインの見方は、木版画集《死の舞踏》(1538年)を見ると明らかになる。この版画集に描かれた世界では、死から逃れることのできる人間は誰もいない。金持ちも貧乏人も、聖職者、権力者も死から免れることができない。
《死の舞踏》の下絵は、1524年から26年にかけて作成され、1538年に41枚の図版で、セットで発売された。下の絵はその中のひとつで、貴婦人が描かれている。
「死」は、貴婦人のダンスの伴奏をしている。しかし、絵の右下には砂時計が置かれ、貴婦人の死が間近なことを告げている。
次の絵は、農夫を描いたものだ。版画の下絵が制作されていた頃には、農奴状態からの解放を求めて、ドイツ農民戦争(1524-25年)が起こっていた。
遠くで教会は輝いている。教会の輝きは農民には届かない。畑の長い畝がどこで尽きるのかは、絵で確認することはできない。盛り上がっていく畝は、建物の手前で下っていく。どこまでこの畝が続くのかわからないように描かれている。
重労働によって、農民の顔は暗く陰っている。疲労困憊しているのだろう。足取りもおぼつかなげに見える。農民の死期を早めるために、「死」が馬たちに鞭を入れている。