ゴッホ《種蒔く人》

ゴッホは弟テオへの手紙で、スケッチに添えて、次のように《種蒔く人》のことを伝えている。

ゴッホ《種蒔く人》

第501信
炎天下の麦畑で一週間、緊張して忙しく働いた。その結果、麦の習作と、風景と——種まく農夫のエスキース〔スケッチ、下絵〕ができた。
紫色の土塊(つちくれ)のある広い耕された畑で——青と白の農夫が地平線の方へ向かってゆく。地平線に熟れた麦畑がわずかにみえる。
その上に黄色い太陽と黄色い空がある。
君は色調の単純化があると思うか。この構図では色が重要な役割を果たしている。
それでこの20号のエスキースは、そういうわけでとても気掛りだ。固くなってひどい画にはしたくなし、でもこれはとても描きたい、だが果たして自分にそれをやりとげるだけの力があるかどうか。
エスキースをそのままにしておいて、それについてはなるべく考えないことにする。種まく人を描くのはかねてからの僕の懸案だ、でも長い間の希望が成就するとは限らない。なにか恐ろしい。それにしてもミレーとレルミット以後、描くものはたしかにある、それは……大きな画布の色彩的な種蒔く人だ。
(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 中』岩波文庫)


ゴッホ《種蒔く人》
フィンセント・ファン・ゴッホ作《種まく人》1888年6月、オッテルロー、 クレラー・ミュラー美術館

ゴッホには種蒔く人を描くのは、恐ろしいことだったようだ。
同じく《種蒔く人》の制作を伝えたエミール・ベルナールに宛てた手紙には、そのような不安は顔をのぞかせない。稚拙な絵を描きたいのだと述べている。この稚拙さと恐ろしさは同じ局面にあるのだといえるだろう。神話的時空を描くときの恐ろしさと、稚拙さを伴わなければ神話的時空を描くことはできないという決意だ。

第7信 1888年6月下旬
ここに《種蒔く人》の見取図がある。耕された土塊(つちくれ)で埋った広い土地は、大部分はっきりした紫だ。
みのった麦畑は土色(オークル・ジョーヌ)の調子に洋紅(カルマン)が少し這入っている。空はクローム黄で、クローム黄1号に少し白を入れた太陽と同じような明るさ、空の部分にはクローム1号と2号とを混ぜた、それで非常に黄色い。
種蒔く人の上衣は青でズボンは白。
25号の画布だ。
地面には紫と黄とを混ぜて出来た黄色と引合う中間の調子もある。だが、僕は実際の色は多少どうでもいい。むしろ昔の暦の素朴な絵のようなものにしたかった、田舎の古い暦の、霙や雪や雨や晴天を稚拙に現わしている例えばアンクタンがうまく描いた《刈入れ》のようなものを求めたのだ。
幼いころ自分が育てられた田舎が嫌いでないのを、君にかくそうとは思わない——そして種蒔きや麦束はいまでも以前のように魅力があり、過去の想出をよみがえらせる永遠の瞳でもある。
(硲伊之助訳『ゴッホの手紙 上』岩波文庫)

強烈な夕陽の光と掘り返された畑の紫の中で、種蒔く人の姿は小さい。
種を蒔いた畑に早くも烏が舞い降りて、種を啄もうとしている。
そこにはゴッホの不安も顔をのぞかせている。
ゴッホと同じように、ぼくたちも不安のなかで、種を蒔き続けなければならない。
種を蒔かないところに、収穫の刈入れはないからだ。


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