大衆レストランにおけるワイン交換の慣習

南フランスの大衆レストランの絵をゴッホの作品の中で見つけた。アルル時代の絵で、《レストランの内部》(1887-88年)という作品だ。テーブルにはワインの小瓶が置かれている。

大衆レストランにおけるワイン交換の慣習

レヴィ=ストロースによると、見知らぬ他者とかかわりあいにならないのがフランス社会の慣習だ。ところが大衆レストランではそういうわけにもいかなくなる。見知らぬ他者と一時間以上も同席しなければならないのだ。

安レストランのテーブルを挟み、見知らぬ同士が、一メートルにもみたない距離を介して向かい合わせに座っている(テーブルを個人が独り占めすることは有料の特権であり、この特権は一定の料金以下ではとても与えてもらえない)。
レヴィ=ストロース(福井和美訳)『親族の基本構造』

そのような状況は、孤独を尊重するフランス人にとって、ある種の葛藤を生じさせることになる。

この見知らぬ二人は短時間のあいだ共同生活にさらされる。……会食者の胸中には、目に見えない不安がどうしようもなく兆してくるだろう。(レヴィ=ストロース同前)

この葛藤を解消させるのがワイン交換の慣習である。南フランスの大衆レストランでは、ワイン込みの値段で食事が出された。ワインはどのテーブルにも置かれていたのである。

小瓶にはちょうどグラス一杯分のワインが入り、この中身は持ち主のグラスにでなく、隣席の客のグラスに注がれる。するとすぐに相手も同じ互酬的ふるまいで応じる。(レヴィ=ストロース同前)

そうすると不思議な化学変化が起こることになる。

さていったい何が起きたのか。二本の瓶の容量はまったく同じで、中身の質もさして変わらない。この示唆に富む場面に登場した二人の人物は、結局のところ、自分のワインを自分で飲んだ場合と比べてべつになにも余分に受け取ったわけではない。経済的観点から見れば、どちらが得したのでも、どちらが損をしたのでもない。しかし交換には交換された物品以上のものがある。(レヴィ=ストロース同前)

ワインを交換することによって、料理の値段が変わるわけでもなく、ワインを飲む量が変化するわけでもない。ただ同じ量のワインが互いに交換されるだけのことである。

ワインが供されたならワインを返さなくてはならない、親愛の情には親愛の情で応えなくてはならないのである。互いに無関心であるという関係は、会食者の一方がその関係から脱しようと意を決するや、もはやいままでとはまったく別様に結び直されずにすまない。この瞬間から関係は、もはや親愛的か敵対的かのどちらかにしかなりえない。(レヴィ=ストロース同前)

二人のうちの一人が、自分のワインを相手のグラスに注ぐと、 「互いに無関心であるという関係」は成立しなくなる。返杯があれば親愛的になり、返杯がなければ敵対的になる。そのどちらかの関係を強いることになるのだ。

そして多くの場合、献杯に対して返杯が応じることになり、二人が無関係に同席していた時の気づまりは解消することになる。

このシーンで重要な役割を果たすのは、ワインである。ワインは、肉や野菜とは異なる社会的財だとレヴィ=ストロースはいう。社会的財というのは、経済的実利品のことではない。神秘的な崇敬の念に包まれた財のことだ。

ゴッホの絵の中で、テーブルにぽつんと置かれたワインの小瓶。それは自分で飲むのではなく、同席した対面者に注ぐために置かれているのだといえる。



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